Friday, October 3, 2025

林家彦六の警鐘 ― 1970年代寄席衰退の影と落語界の現実

林家彦六の警鐘 ― 1970年代寄席衰退の影と落語界の現実

八代目林家正蔵こと林家彦六(一八九五~一九八二)は、戦後から昭和後期にかけての落語界を代表する重鎮である。彼が「寄席の減少は落語界の致命傷」と語った背景には、一九七〇年代の急速な社会変化があった。テレビの普及は決定的で、一九七六年には世帯普及率九四%に達し、娯楽は家庭で消費されるものへと移行した。結果として寄席の観客動員は激減し、「寄席は古い」と見なされる空気が広がっていった。彦六の危機感は、こうした状況を踏まえた切実な叫びであった。

彼はまた、若手がタレント活動と落語を両立させる姿勢を「論外」と断じた。噺家は雲水のように芸に身を捧げるべきであり、芸能界の人気取りに流されることは落語を空洞化させると考えていた。対照的に、素人落語会「天狗連」の存在は高く評価した。天狗連は草の根で芸を育て、プロにも刺激を与える場であり、落語の裾野を広げる大切な場だと捉えていたのである。

当時、国立劇場や国立演芸場の設立によって、国が伝統芸能を保存する仕組みを整えていた。しかし彦六は「殿堂では修業にならない」と切り捨て、あくまで実際の舞台で観客と向き合うことこそが芸を鍛える道と信じていた。制度的保存と現場での実践とのズレを鋭く見抜き、現場を守る重要性を強調した点に、彼の現実主義が表れている。

林家彦六の警鐘は、寄席文化の衰退に直面した落語界にとって、ただの保守的主張ではなく、落語を生きた芸能として存続させるための具体的な処方箋であった。彼の言葉は、芸を取り巻く時代の変化にどう応じるかという問いを、今なお強く投げかけ続けている。

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