Friday, October 17, 2025

街に鳴り響く青春の音―1977年、豊島と杉並のステージに息づく“日本のロック黎明期”

街に鳴り響く青春の音―1977年、豊島と杉並のステージに息づく"日本のロック黎明期"

1977年、東京の豊島公会堂と杉並公会堂では、「久保田麻琴と夕焼け楽団」や「センチメンタル・シティ・ロマンス」など、新しい感性を持つミュージシャンたちが次々とステージに立った。そこには、フォークの叙情とロックのエネルギーが入り混じる独特の熱気があった。高度経済成長が終息し、若者文化が量産的なアイドルポップから自分たちの表現へと転じていく時代。地方から東京へ出てきた若者たちは、街角のライブハウスや公会堂に"自分たちの音"を探して集まっていた。

久保田麻琴と夕焼け楽団は、ハワイアン、ブルース、そして日本語フォークを融合させた独自の"和製ルーツ・ミュージック"を確立し、アメリカンロックを日本的情緒に溶け込ませた先駆的存在だった。一方、センチメンタル・シティ・ロマンスは名古屋出身で、地方都市発のロックバンドとして注目された。彼らの音は、都会の洗練よりも生活の匂いをまとい、地方から中央への文化的逆流を象徴していた。

1970年代後半の東京は、渋谷の屋根裏や新宿ロフトといったライブハウス文化が芽生え、フォークとロックの垣根が消えつつあった時代。学生運動の熱が冷め、政治よりも個人の感性を重視する"私の時代"が到来する中、音楽は社会の鏡としても機能していた。若者たちは日常と夢のあいだを漂いながら、電気ギターとアコースティックギターの音で自分たちのアイデンティティを鳴らしていたのである。

豊島や杉並といった地域も象徴的だった。新宿の喧騒から少し離れたこの地域では、純粋に音楽を楽しむ場としての公会堂文化が生きていた。商業主義の波が押し寄せる直前の、草の根的な自由がそこにあった。1977年という年は、山下達郎や荒井由実(松任谷由実)が台頭する直前、つまり"日本のポップスがローカルからメジャーへと脱皮する直前"の転換期である。

この時代の公演には、まだスポンサーの光ではなく、手づくりの照明とPAのノイズがあった。ステージの上で鳴る音は、未完成ながらも確かな熱を帯びていた。それは、都市と地方、フォークとロック、夢と現実をつなぐ橋渡しのような音だった。豊島公会堂と杉並公会堂に響いたその音こそ、日本のロックが"自分の言葉で歌う"時代へと踏み出す瞬間を告げていたのである。

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