Monday, October 13, 2025

ミカジメ料の実態―都市の影と経済の裏面―1990年代末

ミカジメ料の実態―都市の影と経済の裏面―1990年代末

戦後の混乱期、愚連隊が秩序維持を名目に露店や飲食店から金を取ったのがミカジメ料の起源である。やがてヤクザがこの仕組みを吸収し、「用心棒代」「守代」として制度化した。高度経済成長期には暴力の象徴から取引慣行へと変化し、ヤクザは地域の「治安維持者」として金を徴収した。暴対法が施行された1990年代には、名目が「協力金」や「行事費」へと変わり、法の網を巧みにすり抜けた。地方では無尽講や頼母子講を利用し、自然な形で資金を循環させる方が得策と考えられた。バブル崩壊後の不況で金融が不安定になると、ミカジメ料は資金調達の一種の手数料として再び生き残る。暴力は影を潜めても、支配と依存の構造は消えず、都市の裏側で権力と経済を結ぶ密かな契約として存続した。

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