Friday, October 24, 2025

容器包装リサイクル法成立 —1990年代、日本の「循環型社会」への最初の一歩—

容器包装リサイクル法成立 —1990年代、日本の「循環型社会」への最初の一歩—
1995年6月、「容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律(容器包装リサイクル法)」が制定された。この法律は、家庭から排出されるゴミのうち、体積の6割以上を占めるとされた容器包装廃棄物の削減を目的としており、1997年から段階的に施行された。これにより、市町村が分別収集を行い、企業がその再商品化を担うという「拡大生産者責任(EPR)」の考え方が日本に導入されたのである。
当時の背景には、1980年代末から顕在化したゴミ処理危機があった。都市部では最終処分場の逼迫が進み、「東京はあと数年でゴミが捨てられなくなる」と報道されるほどだった。焼却施設への反対運動も各地で起こり、行政は「リサイクル社会」への転換を迫られていた。また、バブル崩壊後の不況下で新たな産業分野として「環境ビジネス」が注目され始めた時期でもあり、容器包装リサイクル法はその象徴的な制度といえる。
施行当初、企業は再商品化費用を負担することに反発したが、厚生省(現・環境省)は「最終的には消費者がコストを負担する構造」を認め、価格転嫁による調整を許容した。これが後に「環境コスト内部化」と呼ばれる考え方の端緒である。
この法制度は、企業の社会的責任(CSR)と行政・市民の協働を前提とする点で画期的だった。1990年代前半にはペットボトルやプラスチック容器が急増し、消費文化が環境負荷の主要因となっていた。容リ法の成立は、単なる廃棄物対策ではなく、消費社会そのものを問い直すきっかけを与えたといえる。
制度開始後、リサイクル技術の開発競争が進み、PET再生樹脂の品質向上や、カレット(再生ガラス)利用の拡大などが実現した。自治体では分別収集の徹底が進み、「3R」(リデュース・リユース・リサイクル)の理念が行政と生活に浸透し始めた。こうして1990年代半ばの容リ法は、のちの循環型社会形成推進基本法(2000年)へとつながる日本環境政策の転換点となったのである。

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