容器包装リサイクル拠点-栃木の実験場 -1995年・再資源化社会の胎動-
1995年に成立した「容器包装リサイクル法」は、企業が製品廃棄後の再資源化に責任を持つという、日本初の「拡大生産者責任」を法制化した点で画期的だった。その制度設計の試金石となったのが、栃木県に設けられた共同再生工場群である。ここでは、PETボトルやプラスチック容器を対象に、複数の樹脂メーカーが協働で再生ラインを運営し、廃棄物の選別・洗浄・再ペレット化といった工程を統合的に実験していた。
1990年代初頭の日本は、バブル崩壊後の経済再建と同時に、最終処分場の逼迫や焼却炉の建設反対運動など、「ゴミ処理危機」に直面していた。自治体が処理能力の限界を迎える中、製造業に対し「生産段階からリサイクルを見据える責任」が求められ始めたのである。栃木県の実証工場は、その社会的要請に応えるかたちで、民間主導のリサイクル技術開発と分別収集体制の連携を実現した最初期の拠点だった。
また、この拠点では、ペットボトル再生樹脂を用いた繊維製品や梱包資材などの再商品化が試みられ、地域雇用と環境事業を両立させる「地産循環型モデル」として注目を集めた。通産省(現・経産省)はこの成功を背景に、全国各地で共同リサイクル施設を支援する方針を打ち出し、のちの「リサイクル・ループ」形成政策へとつながっていく。
1995年前後の栃木の実験は、単なる地方工場の成功にとどまらず、企業・自治体・消費者が責任を分かち合う「循環型社会」実現の象徴的出発点であった。資源が再びモノに生まれ変わるプロセスが、ようやく地域の現場で息づき始めた時代である。
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