Friday, October 24, 2025

児島湖の浄化槽条例と地域環境行政 -1995年・地方から始まった水の再生-

児島湖の浄化槽条例と地域環境行政 -1995年・地方から始まった水の再生-
1995年前後、岡山県児島湖流域では、家庭排水による富栄養化が深刻化していた。瀬戸内海に注ぐこの閉鎖性湖沼は、戦後の干拓と都市化によって水質悪化が進み、BOD(生物化学的酸素要求量)が全国ワーストに数えられるほどだった。こうした危機を受け、岡山県と流域自治体は、全国に先駆けて「合併処理浄化槽」の設置を条例で義務化し、地域住民・メーカー・行政が協働して生活排水対策に取り組んだ。
当時の日本では、上水道の整備率が高まる一方で、下水道の整備は遅れ、農村や郊外では家庭排水が直接河川や湖沼に流入する「無処理状態」が一般的だった。1990年代前半、環境基本法(1993年)と水質汚濁防止法改正を受け、国は小規模地域向けの下水処理として合併処理浄化槽を普及させる方針を示したが、法整備よりも早く、児島湖流域は自ら条例を制定し、地域主導での環境保全を実践した。
この取り組みでは、家庭ごとに設置される小型浄化槽を地域単位で補助し、窒素・リンの除去性能を強化する技術改良も進められた。特に、フジクリーン工業やクボタなどの企業が高効率モデルを提供し、「1リットルあたり窒素20ミリグラム以下」を目標とする技術基準を提示したことは注目に値する。これにより、単なる設備導入を超えて、自治体とメーカー、住民団体が対話しながら政策をつくる「参加型環境行政」の先駆けとなった。
1990年代半ばの児島湖は、国が後に策定する「閉鎖性水域対策プログラム」に先行する地方モデルとして、地域の自助努力による水環境再生の希望を示した。環境省が全国の湖沼管理計画を策定する際にも、この児島湖の取り組みが事例として引用され、地方が国の環境政策を先導した希少なケースとして記憶されている。

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