Monday, October 13, 2025

屋久島スギ遺伝子保存事業――悠久の森を未来へつなぐ科学の手 1996年3月

屋久島スギ遺伝子保存事業――悠久の森を未来へつなぐ科学の手 1996年3月
1990年代の日本は、公害克服期を経て「自然との共生」を新たな国策テーマとする時代に入っていた。その中で、屋久島のスギ巨木群を対象とした林野庁の「屋久島スギ遺伝子保存事業」は、自然保護の理念と科学技術の融合を象徴する試みとして注目を集めた。1996年3月、林野庁は鹿児島県屋久島の縄文スギをはじめとする21本の巨木から約30センチの枝を採取し、挿し木で苗木を育成する作業を開始した。これは単なる巨木保護ではなく、「遺伝資源の保存」という観点から、樹木の生命情報そのものを後世に残そうとする科学的な挑戦だった。

当時、屋久島は世界自然遺産登録(1993年12月)の余波を受け、国内外から観光客が急増していた。縄文スギを目指す登山道では踏圧による土壌劣化や、登山者によるゴミ問題、トイレ不足などが深刻化しており、「人が自然を愛する行為そのものが自然を傷つける」という矛盾が顕在化していた。こうした状況の中で、遺伝子保存事業は"見せる保全"から"伝える保全"への転換として位置づけられた。観光や信仰の対象である縄文スギを守るだけでなく、その遺伝的多様性を保存し、科学的データとして未来に引き継ぐという発想は、従来の自然保護とは一線を画していた。

屋久島のスギは、樹齢数千年にも及ぶ長寿命個体が多く、学術的にも極めて貴重である。縄文スギの年輪年代は諸説あり、2000年から7200年と幅広い推定が存在する。これは内部が空洞化しているため正確な測定が難しいことによるが、いずれにせよ世界でも稀な長命樹であることは間違いない。林野庁の保存事業は、この「長寿遺伝子」を保存し、将来の環境変動に対応できる種苗開発や生態研究に役立てる意図を持っていた。科学的視点から自然を捉え直し、文化財としてではなく"生きた遺産"として守る姿勢がそこにあった。

また、当時の環境行政全体が「生物多様性保全」へと舵を切っていたことも背景にある。1992年の地球サミットで採択された「生物多様性条約」を日本政府が批准したのは1993年。その理念が国内施策として具体化された初期の事例の一つが、この屋久島スギ遺伝子保存事業であった。つまり、屋久島は日本の自然保護政策が"観光資源の保護"から"遺伝資源の保全"へと質的に転換する転機の舞台となったのである。

この取り組みは、地元の研究者や住民にも影響を与えた。屋久島自然館や地元高校では、スギのDNA解析や苗の生育観察を通じて環境教育が行われ、地域ぐるみで「森の遺伝子を未来へ伝える文化」が育まれ始めた。科学技術が地域社会と結びついた稀有な例として、屋久島スギ遺伝子保存事業は、後の「生物多様性国家戦略」や「遺伝資源バンク構想」にもつながっていく。

縄文スギが象徴するのは、悠久の時間の中で人間が一瞬をどう生きるかという問いでもある。1996年のこの事業は、単に樹木を保護するものではなく、未来世代に対して「自然を受け継ぐ責任」を科学の言葉で語り直した試みであった。森を守るとは、今ある命だけでなく、その"可能性"を残すこと――屋久島の森が放つ静かな声は、環境行政の新しい時代の幕開けを告げていたのである。

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