Monday, October 13, 2025

ナショナルトラスト運動と環境行政―自然を買い戻す民の力 1996年3月

ナショナルトラスト運動と環境行政―自然を買い戻す民の力 1996年3月
1970年代の日本は、公害の深刻化を経て「自然を守る社会」へと舵を切り始めた時代であった。高度経済成長の影で森林や湿地が次々と開発され、国や企業主導の開発に対して市民が自ら自然を守る動きを起こした。それがナショナルトラスト運動である。発端は1960年代末の神奈川県鶴見川流域や鎌倉の谷戸地での開発反対運動にさかのぼるが、決定的な契機となったのは1970年代半ばの北海道・知床の「100平方メートル運動」だった。

この運動は、開発予定地の土地を「1口1万円」で買い戻す市民参加型の仕組みであり、わずかな寄付の積み重ねで自然を共同保全するという画期的な発想を打ち出した。知床の原生林を守るために全国から寄付が集まり、結果として国立公園内の民有地が保全されることとなった。この取り組みは、行政の限界を補う"民による環境行政"として注目され、1977年には環境庁(現・環境省)がナショナルトラスト運動を正式に支援する方針を打ち出した。

さらに1980年代に入ると、政府は税制面での優遇措置を整備し、寄付金控除や公益信託制度の創設によって、市民が安心して環境保全活動に参加できる仕組みを拡充した。これはイギリスのナショナルトラスト制度を参考にしたもので、国民の自発的な保全活動を法制度が支える形が徐々に確立していった。

1990年代には、都市部でもナショナルトラストの発想が広まり、横浜や世田谷、神戸などで緑地保全を目的とした地域型トラストが誕生した。バブル崩壊後の再開発圧力が高まるなか、住民自身が寄付や土地信託によって「地域の緑」を守る事例が増加し、行政と市民が協働する新しい都市環境政策として注目された。

1996年当時、ナショナルトラスト運動は全国で60件以上に拡大し、運動主体もNPO、地方自治体、大学、市民団体など多様化していた。とりわけ「トラストは土地を守る運動であると同時に、人の心を育てる運動である」という理念が共有され、環境教育とも深く結びついていった。

このように、ナショナルトラスト運動は「自然を買い戻す」という象徴的行為を通じて、環境行政に市民の意思を反映させる新たなモデルを示した。1990年代の環境基本法制定や地方分権改革の流れの中で、この市民主導型保全の思想は制度化され、日本の環境政策の底流をなす「民と官の協働」という理念を根づかせていったのである。

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