灰の行方―所沢から始まった環境行政の転換(1997―2000)
1990年代後半、日本は焼却中心の廃棄物処理から脱却し、循環型社会への転換を模索していた。背景には、廃棄物焼却炉がダイオキシンの主要発生源とされた社会不安があった。1999年、埼玉県所沢市での「野菜汚染報道」を契機に、全国的に焼却行政が見直され、市は日本初のダイオキシン規制条例を制定。家庭用小型焼却炉の撤去が進められた。文部省は学校焼却炉の使用廃止を通知し、公立校の約九割が停止した。さらに、1999年に策定された「ダイオキシン対策推進基本指針」は、2002年までに排出量九割削減を掲げ、構造・運転基準を明確化した。こうした流れは科学技術への信頼の揺らぎと市民の環境意識の高まりを背景に、行政と市民の対話を促した。所沢の試みは、地方から始まる環境政策転換の象徴であり、日本の環境�
�バナンスの新たな出発点であった。
No comments:
Post a Comment