蒼穹に響く余剰の旋律―資本論・19世紀
労働者は自らの労働力を資本家に売り、受け取るのはその労働力を再生産するために必要な最低限の賃金だけである。だが実際には、労働者はそれ以上に働かされ、その超過分こそが剰余労働となり資本家の利益、すなわち剰余価値となる。賃金は労働力の価値を反映するものにすぎず、労働そのものの価値を正当に反映するものではない。こうして、剰余価値は資本主義の根本的な搾取構造を成す物として位置づけられるのである。
十九世紀の産業革命期、英国をはじめとする国々では、長時間労働が蔓延していた。児童や女性も過酷な労働を強いられ、1847年には若年者と女性の労働時間を一日十時間に制限する法令が出されるが、実態は依然として過労と抑圧が常態だった。この時代背景こそ、資本家が絶対的剰余価値を追求する力学を具現化させた舞台である。とりわけ、労働日を引き延ばす絶対的方法と、機械化や工程改革によって必要労働時間を短縮させ、相対的剰余価値を拡大する方法との組み合せが資本主義の成長戦略を形成した。
賃金制度の多様化もまた、搾取を覆い隠す役割を果たした。時間給や出来高給という形態は、支払われる額を変えるが、本質的には必要労働分しか補償せず、剰余部分を隠蔽する役割を担う。さらに、資本の蓄積過程では機械への投資が進み、不変資本比率が高まることで労働力需要に余裕が生まれる。すなわち産業予備軍=失業者層が形成され、賃金を抑制し、労働者を資本の秩序に従属させる規律が制度化されていく。こうして剰余価値論は、利潤を市場の偶然や競争から切り離し、労働日の構造、社会的制度、歴史的過程の中で読み解く視点を提供する。
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