Saturday, October 11, 2025

大地の沈黙を聴く―資本が自然から収奪するのはなぜか・資本論・19世紀

大地の沈黙を聴く―資本が自然から収奪するのはなぜか・資本論・19世紀

マルクスは、資本主義の運動そのものに自然破壊の必然を見いだした。資本は価値を増殖させることを目的とし、そのために人間の労働と自然の力をともに搾取する。自然は本来、人間との共生的関係の中で再生と循環を繰り返す存在であるが、資本の論理の下ではそれが単なる「利潤の源泉」と化す。使用価値よりも交換価値が優先され、自然は無限の供給源と見なされて消費される。マルクスは『資本論』第1巻で「資本は労働者の健康と大地の肥沃さの両方を浪費する」と記し、自然の収奪と労働の搾取が同根であることを示した。資本主義は富を拡大するほどに生命を消耗し、人間と自然の調和的関係を断ち切る構造を内包しているのである。

マルクスはこの断絶を「代謝の裂け目(metabolic rift)」と呼び、人間社会と自然との物質循環の破壊を指摘した。十九世紀の産業革命は都市と農村の分離を進め、食料や資源は都市に集中し、肥料や養分は大地に還らなくなった。化学者リービッヒの研究に触発されたマルクスは、資本主義農業が土壌の生命を奪う過程を社会的代謝の崩壊として描き出した。ロンドンのテムズ川にあふれた工場排水、ペルーやチリから輸入された硝石肥料、そして環境汚染の進行――これらすべてが、資本主義が自然の限界を超えて利潤を追う姿の具現だった。

このように資本は、利潤を生むために自然の再生能力を顧みず、生命を「資源」として浪費する。マルクスにとって自然の収奪とは、資本が自己増殖を続ける限り避けられない内的必然であった。自然の声を聞き取る理性的生産のあり方こそ、彼が描いた未来社会の倫理的基盤であり、そこでは人間が自然の一部として再びその循環を取り戻すことが求められていた。

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