森に燃える夢 山形県のバイオマス利活用協議会 - 2004年
2004年前後、日本は京都議定書の発効を目前に、温室効果ガス削減と循環型社会への転換を急いでいた。国は2002年にバイオマス・ニッポン総合戦略を閣議決定し、未利用バイオマスの活用、地域の人材育成、バイオマスタウンの推進などを明確化した。のちの見直しでも、国産バイオ燃料や林地残材の活用が強調され、地方の実装に背中を押した。
山形県はこの流れを素早く受け止め、2004年3月26日に山形県バイオマス総合利用ビジョンを策定。翌年度、産学官が横断で集うバイオマス利活用協議会を立ち上げ、県内で散在する取組を束ねるハブの役割を与えた。公式文書には策定日が明記されており、当時の県の意思決定の速さが読み取れる。
実装の芽はすでに現場で動いていた。県内では、資源作物スイートソルガムを使った燃料製造、廃食用油のディーゼル燃料化、木質おがくず等による発電、家畜排せつ物の堆肥化など、複数の実証と事業が並行して進行。協議会はこれらを横串で結び、自治体と民間の展開策を検討する場として位置づけられた。
政策環境も追い風だった。電力分野ではRPS制度が2003年度から本格施行し、電力会社に新エネルギー利用の義務づけがかかった。バイオマス発電は新エネ電気として受け皿を得て、技術とサプライチェーンの磨き込みが進んだ。のちに2012年からFIT制度へとバトンが渡るが、2004年はその助走期にあたる。
その後の動きとして、県内ではスイートソルガムや木質バイオマスの活用が継続的に検討され、庄内地域の資料や後年のレポートにも関連プロジェクトの足跡が見える。2009年の取材記では山形県新庄市でのスイートソルガム実証が触れられ、地域資源から燃料を生む発想が土着していった様子がうかがえる。
まとめると、山形県の協議会は、国策を地域語に翻訳し、作物、廃油、木質、畜産という多様な資源を束ねるコーディネーション装置だった。2004年の段階で、集荷と品質、転換技術、需要確保という事業化の三点を見据え、地域循環と脱炭素の基盤づくりを一歩進めたと言える。
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