紀伊國屋の喫茶室 ― 昭和初期、新宿に芽吹いた文化の交差点

紀伊國屋の喫茶室 ― 昭和初期、新宿に芽吹いた文化の交差点

昭和初期、関東大震災後に急速な発展を遂げた新宿で、紀伊國屋書店は単なる書店を超えた文化拠点となった。創業者田辺茂一は「街頭の大学」を掲げ、書店に画廊や講堂を併設し、知と芸術を広げる場を志向した。1930年には二階に講堂を備え、文士や学生、芸術家が集まり語らう場となった。そこには喫茶室も置かれ、井伏鱒二や伊藤整といった作家が常連として出入りし、文学談義に花を咲かせたという。

当時の東京では、まだ大学や文学サークル以外に気軽に議論できる場所は少なく、書店の喫茶室は誰もが出入りできる知的サロンとして機能した。さらに1927年に中村屋が喫茶部を設け、カリーなどモダンなメニューを提供していたこともあり、新宿は喫茶文化の土壌を育んでいた。紀伊國屋の喫茶室は書物に囲まれた空間で「読む・語る・憩う」を連続させ、人々を滞留させる仕掛けとなった。

やがて紀伊國屋は新刊紹介誌『紀伊國屋月報』を発行し、戦後には新宿本店ビルとホールを備えた大規模施設へと発展する。その背景には、昭和初期に形づくられた「知の広場」としての役割があった。紀伊國屋の喫茶室は、新宿を「知識のメッカ」と呼ばせる礎石となり、文化と都市が交差する拠点として重要な意味を持ち続けたのである。