天龍川を下る男たち―昭和初期の筏師の記憶(一九三〇年代)
昭和初期、長野県佐久間町山室から浜松へと流れる天龍川は"暴れ川"として知られた。筏師たちは上流で伐り出した木材を筏に組み、激流を下って運搬した。中でも「山室の滝」は最難関で、「あそこを越えられるのは腕の確かな者だけ」と語られた。筏師たちは自然と語らうように舵を取り、川の流れを読む職人として尊敬を集めた。彼らの仕事は単なる運搬ではなく、山村の誇りであり、生業そのものだった。朝霧の中で声を掛け合い、木材と共に流れる姿は、自然と人の共生を象徴していた。自動車道路が整備される以前、筏流しは物流の要であったが、戦後のダム建設や道路拡充によって姿を消した。それでも、天龍川沿いの村々には今も古老の語りが残り、「あの川を知る者は山と水の声を聞けた」と伝えられている。筏
師の物語は、自然の脅威と恵みの狭間で生きた日本の風土と労働の記憶を今に伝える。
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