Thursday, October 23, 2025

艶と孤独の輪郭 ― 渥美マリと六〇年代後半の女性解放の影(一九六〇〜一九七〇年代)

艶と孤独の輪郭 ― 渥美マリと六〇年代後半の女性解放の影(一九六〇〜一九七〇年代)

渥美マリ(一九四七年生まれ、本名・渥美真里子)は、一九六〇年代末から七〇年代初頭の日本映画において、"エロスと知性の狭間"を歩いた異彩の女優である。戦後復興が成熟し、高度経済成長が頂点を迎えたこの時代、銀幕では"清純"と"奔放"という二つの女性像が並び立っていた。渥美マリは、その中間で独自の存在感を放ち、官能を演技の軸としながらも、どこか醒めた知的視線を失わない"自立した女性"を体現した。

彼女の登場は、日活が青春映画の衰退と経営難に直面し、官能的作品へと路線転換を図った時期と重なる。渥美は『女体』(一九六八)や『めくらのお市 皆殺し地獄』(一九六九)などで、従来の"男に愛される女"から一歩踏み出し、"男を観察する女"を演じた。その姿には、時代が抱える性の解放と矛盾が凝縮されている。彼女の艶やかな演技は挑発的でありながら、同時に孤独と皮肉を湛えており、ただの官能女優には収まらなかった。

同世代の加賀まりこが都会的退廃の象徴であり、小川真由美が情念の深みを表したのに対し、渥美マリはその中間で、肉体の解放と理性の均衡を保つ希有な存在だった。梶芽衣子の"戦う女"が社会的闘争を体現したのに対し、渥美の演技は内面の反逆を描いた。彼女の魅力は、笑いながら男社会を冷ややかに見つめる距離感にある。

また、テレビでは『プレイガール』(一九六九〜七六)にゲスト出演し、真理明美らとともに"行動する女性"像を確立。そこには、女性が性の対象から主体へと転じていく六〇年代の空気が流れていた。渥美マリのキャリアは短くも、六〇年代文化の"解放の熱と孤独"を映した鏡のようである。彼女の艶やかさの奥には、女性が自己を取り戻す過程の痛みが確かに刻まれていた。

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