南九州・トカラ列島に生きた「嫁盗み」―昭和後期から平成初期の村落社会のかたち
鹿児島県のトカラ列島をはじめとする南九州の農漁村地帯では、共同体がまだ強く機能していた。若者組の存在が、家と恋愛、制度と情のあわいを調停する独特の民俗的仕組みを支えていた。そこでは、結婚は「家」という経営単位を維持するための合理的な制度であり、恋愛感情だけでは許されなかった。だが理性で抑えた感情が噴き出す局面があり、若者組が「盗む」という儀式的行為を通じて、制度を破壊せずに感情の発露を制度化した。これが「制度化された非常手段」と呼ばれるものである。
嫁盗みとは、秩序を乱す暴力的行為ではなく、村の秩序を保ちながら人間的な幸福を回復するための民俗的知恵であった。これは、近代的合理主義が支配する社会における批判的な寓話でもある。家制度の崩壊や共同体の希薄化への危機感が、こうした語りの底に流れていた。
昭和後期から平成初期にかけて、日本社会は高度成長による都市化が進み、地方の若者が次々と村を離れていった。結婚の形も、家を中心とした制度から個人の自由意志へと移り変わり、村の秩序は揺らいでいった。そのような時代において、嫁盗みは古い風習ではなく、「制度と個人の幸福の調和を求めた社会的装置」として再解釈される。伝統社会の柔軟さと共同体的倫理の力強さを示す象徴であり、合理主義では捉えきれない人間の情と共同体の知恵がそこに息づいていた。
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