静寂の光に佇む知性 ― 山本陽子と戦後日本映画の成熟(一九六〇〜一九七〇年代)
山本陽子(一九三九年生まれ)は、戦後日本の映画が娯楽から芸術へと変貌していく転換期に登場した、知的で気品ある女優である。彼女のデビュー期である一九五〇年代末から六〇年代初頭は、敗戦後の荒廃を経て社会が安定を取り戻し、高度経済成長が始まった時代であった。家庭・職場・都市文化が再編されるなかで、日本映画も「貧しさのリアリズム」から「心理と構造のリアリズム」へと進化していく。その過渡期にあって、山本陽子は"静かな都会派ヒロイン"として新しい女性像を提示した。
松竹に入社した彼女は、一九六〇年の篠田正浩監督『乾いた湖』で注目を浴びる。砂漠化した湖畔に生きる女性の孤独と渇望を描く作品で、戦後の"進歩と虚無"を象徴するヒロイン像を演じた。清楚な外見に潜む抑制と情熱の二面性が観客を魅了し、同作は松竹ヌーヴェルヴァーグの代表作として語り継がれている。その後も『わが恋の旅路』(一九六一年、監督:篠田正浩)、『女の中にいる他人』(一九六六年、監督:成瀬巳喜男)などに出演し、戦後日本映画が模索した"現代女性の孤独と自立"を静謐に体現した。彼女の演技は、派手さを排し、微妙な感情の揺らぎを視線と沈黙で表現するもので、同時代の司葉子の都会的洗練、岡田茉莉子の理知的強さ、岩下志麻の官能的緊張とは異なる「透明な知性の演技」として独自
の地位を築いた。
当時の社会背景は、高度成長による経済的繁栄と同時に、女性の社会進出が始まる時代でもあった。山本陽子の役柄には、伝統的な貞淑さと、自己を見つめ直すモダンな主体性が共存している。特に『女の中にいる他人』では、殺人を犯した夫の罪を知りながら沈黙を選ぶ妻を演じ、内面の倫理的葛藤を冷ややかに表現した。その"語らない強さ"は、六〇年代後半の日本映画が求めた精神性の深さを象徴している。
テレビ時代に入ると、彼女は『白い巨塔』(一九七八)や『赤い衝撃』(一九七六)などで重要な役を演じ、スクリーンから茶の間へと活動の場を移した。清楚な美しさと知的な落ち着きは衰えることなく、上品で理性的な女性像を確立。華やかなスター性ではなく、静けさの中に漂う"日本的な気品"こそが山本陽子の魅力であり、戦後日本の成熟を象徴する女優の一人であった。
――彼女の微笑みは、喧騒の時代における静寂の光であり、戦後映画が最後に見た「沈黙する美」の体現者であった。
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