Friday, October 3, 2025

中村屋と電話の声掛け ― 明治末期の新宿に息づく人情

中村屋と電話の声掛け ― 明治末期の新宿に息づく人情

明治末期、まだ新宿が東京の繁華街として確立する前の頃、現在では老舗として知られる「中村屋」が本郷から移転してきた。当時の新宿は、追分を中心とした宿場町の面影を残しながら都市化への途上にあり、近代的な通信手段である電話は極めて珍しい存在だった。家庭に普及するには程遠く、限られた商家が所有するにとどまっていた。

著者の家には珍しく電話があり、その番号は「番町の一〇七番」と呼ばれていた。しかし近隣にはまだ電話がなかったため、用件があれば町内の人々が著者宅にかけてきた。すると通りを隔てた向かい側にいた中村屋に向かい、「おーい中村屋さん、電話ですよ!」と大声で呼びかける。すると、背のタスキを外しながら黒光夫人が慌てて駆けつける姿が印象的だった。

この一幕は、まだプライバシーや通信の秘密などが考慮される以前、地域が互いに生活を補い合っていた時代の象徴である。電話料金も度数制ではなく、利用に大きな負担がなかったことから、近所付き合いの一環として自然に共有されていた。また、年の暮れには「三白」と呼ばれる砂糖袋が礼として贈られ、互助的な習慣が息づいていたという。

このような光景は、急速に近代化が進む東京の中で、新宿という地域がまだ人情の温かさに包まれていたことを示している。やがて中村屋はパンだけでなく文化人の交流拠点ともなり、新宿の歴史に深く関わっていくが、その原点にはこうした素朴で人間味あふれるやりとりがあったのである。

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