Friday, October 3, 2025

関東大震災と新宿の安堵 ― 大正十二年の街の転換点

関東大震災と新宿の安堵 ― 大正十二年の街の転換点

大正十二年九月一日の関東大震災は、東京下町を壊滅させた。日本橋や浅草、本所・深川の一帯は大火に呑まれ、都市の心臓部は機能を失った。浅草の劇場や寄席、映画館も消え去り、人々は新しい生活と娯楽の場を求めてさまよった。そのとき被害を免れた新宿が注目を浴びる。地盤の強さと延焼を逃れた幸運が重なり、商人や興行師、避難者が次々と移り住んできた。映画館「武蔵野館」は連日満員で、大入袋が相次ぎ、商人の家ではそれを壁に飾るほどの繁盛を見せた。

震災前の新宿はまだ東京の外れと見なされていたが、下町の喪失が都市の流れを変え、西への移動を促した。カフェーや映画館が続々と開業し、大正モダンの気風を背景に大衆文化が新宿に根付いた。震災は都市に深い傷を残した一方で、新宿を「代替の中心」として押し上げる契機ともなったのである。昭和以降の繁華街形成の基盤は、この災禍による人と資本の移動から生まれた。大正十二年は、新宿が不幸な出来事を跳躍台として、文化と娯楽の街へと変貌した年として記憶されることになった。

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