地中を流れた見えない河-福島第一原発サンドクッションドレーンに刻まれた汚染の記憶(2011年)
2011年3月の事故直後、福島第一原発の構内では、建屋の外からは決して見えない場所で、もうひとつの事故が静かに進行していた。その場所こそ、基礎部の砂層に設けられたサンドクッションドレーンである。通常運転時、この層は地下水を受け止め排水路へ導くための穏やかな水脈にすぎなかった。しかし炉心損傷と格納容器破損によって大量の汚染水が建屋内部へあふれ出すと、本来清浄であるべきその砂層は、汚染された水を受け入れる逃げ道へと姿を変えた。老朽化した建屋基礎には地震の揺れで微細な損傷が生じ、建屋下部は水圧と高温にさらされ、汚染水は最も低い地点であるドレーンへと流れ込んでいった。
この構造は事故前には危険な経路だと認識されていなかった。だが、事故後の調査が進むにつれ、砂層と側溝、トレンチ、取水口付近の地中ネットワークが複雑に連結し、汚染水が地中を通って外洋へ到達しうることが判明した。実際、2011年4月には2号機取水口近くのピットで高濃度汚染水の海洋流出が確認され、地中経路が事故の拡大に決定的な役割を果たしていたことが裏づけられた。地上で起きていた爆発や白煙の裏側では、建屋の影に隠れた地下の河川が、静かにしかし確実に放射能を運び続けていたのである。
また、福島第一原発は1970年代の設計思想に基づいており、当時は重大事故を想定した地下水挙動の研究は十分ではなかった。地中漏えいがどのように広がるかを予測するモデルもほぼ存在せず、構内の水理システムが事故時にどのように振る舞うかを事前に把握することは困難だった。地下水位は震災直後に不安定化し、海側山側から流れ込む大量の水が汚染水と混じり合い、原発敷地全体をひとつの巨大な水脈へと変えていった。後年建設された凍土壁が必要とされた背景には、この初期の見えない流出への反省が深く横たわっていた。
サンドクッションドレーンは地名ではない。しかし、福島第一の地中を走るもうひとつの地形であり、事故の姿を裏側から照らす重要な地点である。そこを通る汚染水は、建屋損傷、地下水流動、海洋汚染といった連鎖する危機を象徴し、原子力災害がいかに地表だけではなく地下の世界でも進行したかを静かに物語る。2011年のあの日、人々が目にしたのは白煙や爆発だったが、事故の影を運んでいたのは、地中深くを流れる見えない河だった。
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