Wednesday, December 31, 2025

お雇い外国人 松前で出会った漂流水夫たち――嘉永年間 外人ラナルドマクドナルドの見た差別と処遇

お雇い外国人 松前で出会った漂流水夫たち――嘉永年間 外人ラナルドマクドナルドの見た差別と処遇

嘉永年間の日本において、異国人の扱いは一律ではなかった。鎖国という制度は外国人を排除する枠組みとして語られがちだが、実際の現場では、その人物が誰で、どのように振る舞い、何をもたらす存在なのかによって処遇は大きく異なっていた。蝦夷地松前は、その差異がもっとも露骨に現れる場所の一つであった。

松前に移送された外人ラナルドマクドナルドは、そこで別の漂流者たちの存在を知る。彼らは米国籍の水夫十五名で、難破や漂流の末に日本側に拘束されていた。集団で行動し、粗暴な態度を見せる者も多く、意思疎通はほとんど成立していなかった。そのため当初は最低限の保護を受けていたものの、次第に待遇は悪化していく。監視は厳しくなり、環境も劣悪となり、病に倒れる者や自ら命を絶つ者まで出た。

この状況は、日本側の単純な残酷さというより、管理の論理が行き詰まっていく過程を示している。言葉が通じず、態度も制御できない集団は、役人にとって危険で正体の掴めない存在であり続けた。鎖国社会において最も忌避されたのは、意図が読めず、関係を結べない他者であった。

それに対して、マクドナルドの処遇は相対的に穏やかであった。彼は単独であり、粗暴な態度を取らず、日本語を学ぼうとし、通詞との会話を成立させた。語学能力は単なる技術ではなく、理解可能な存在であることの証明でもあった。完全に信用されていたわけではないが、危険視の度合いは低く抑えられていた。

ここに見えるのは、異国人という一括りの中に存在した明確な序列である。役に立つか否か、管理できるか否か、礼儀を守るか否か。その判断は制度ではなく、現場の感覚によって下されていた。マクドナルドが比較的穏やかな扱いを受けたのは、人格的評価と実用性の両面で扱える存在と見なされたからである。

松前で出会った漂流水夫たちの悲劇は、鎖国日本が単純な排外主義社会ではなかったことを示している。異国人は拒絶される一方で、状況次第では区別され、利用され、処遇を変えられる存在でもあった。マクドナルドはこの現実を通じて、日本社会の冷酷さと柔軟さの両方を学んだ。異国人であることそのものではなく、言葉と態度、そして関係を結べるかどうかが運命を左右していたのである。

No comments:

Post a Comment