Wednesday, December 31, 2025

祭りの夜 親分は原発を語る 高度成長期から暴対法後まで

祭りの夜 親分は原発を語る 高度成長期から暴対法後まで

地方の小さな祭りの夜、酒の回った座敷で暴力団の親分が原発について語る光景は、一見すると場違いで奇妙に映る。しかしその語り口は感情的でも誇張でもなく、きわめて事務的で現実的だ。原発はどでかい公共事業であり、ダムや高速道路と同じ種類の仕事だという。ひとたび動き出せば簡単には止まらず、長期にわたって金が生まれる。危ない橋を渡る必要もなく、堅くて息の長いシノギだという認識が淡々と示される。

この感覚は、原発が建設されていった高度成長期から地方に浸透していた公共事業観と深く結びついている。国策として進められたインフラ整備は、地域に仕事と金を落とす装置だった。ダムや高速道路や港湾整備と同様に、原発もまた巨大な資金と人の流れを生む存在として理解されていた。そこでは電気の安全性や技術的議論よりも、工事が続くか、金が回るかという視点が優先される。親分の語りは、その地域的リアリズムをそのまま映している。

印象的なのは、その親分が祭りという地域行事の中心に、ごく自然に座っている点である。暴対法が施行され、表向きには暴力団排除が進められていた時代であっても、地方社会では彼らが完全に排除されていたわけではなかった。寄付を出し、顔を出し、酒席を囲む。祭りや冠婚葬祭といった場面では、親分は今なお顔役として機能していた。その延長線上で、原発の話もまた、特別な裏話ではなく世間話として語られる。

原発をめぐる利権や暴力団の関与は、しばしばスキャンダラスに語られる。しかしこの場面が示しているのは、もっと地味で構造的な現実だ。原発は最初から裏社会の仕事として扱われていたのではない。あまりに正規で、あまりに巨大な公共事業だったからこそ、周辺の金の流れや人集めの部分で、暴力団が自然に関与できる余地が生まれた。親分にとって原発は、危険な賭けではなく、国が保証する安定した仕組みの一部だった。

祭りの夜に交わされるこの会話は、原発が地域社会の中でどのように理解され、受け入れられていたのかを雄弁に物語っている。原発は遠い国家政策ではなく、地元の仕事であり、金の話であり、世間話の一つだった。親分がそこに座り原発を語る姿は、暴力団が溶け込んでいた現実だけでなく、原発そのものが地域の日常に組み込まれていた時代の空気を静かに浮かび上がらせている。

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