沈黙の奥で交わされた覚悟――岩倉具視が語った国家統一の現実(明治初年 一八六〇年代後半から一八七〇年代初頭)
明治維新直後の日本において、国家統一は理念ではなく、目前に迫った実務課題だった。王政復古や大政奉還によって政権の枠組みは変わったが、各地の有力大名や旧藩勢力はなお実力を保持し、新政府の権威は不安定だった。中央集権国家を成立させるには、制度設計や理念の提示以前に、従わせるための強制力が不可欠だったのである。
この現実を最も冷静に理解していた人物の一人が岩倉具視だった。彼が外国人顧問であったグイド・フルベッキの前で、有力大名を服従させるためには流血も辞さないと語ったとされる発言は、後世から見れば過激に映る。しかしそれは、理想論を排した現実的判断だった。国家統一は説得や合意だけで達成できるものではなく、抵抗があれば武力行使も選択肢に含まれるという冷徹な計算が、その言葉の背後にあった。
廃藩置県に象徴されるように、近代国家の成立は地方権力の解体を伴う。既得権を持つ勢力が自発的に従う保証はなく、最終的には力による決着が避けられない局面も想定されていた。岩倉の本音は、国家を空中分解させないための覚悟の表明だったのである。
注目すべきは、この率直な言葉が公の場ではなく、フルベッキという外国人顧問の前で語られている点である。国内向けの公式記録や演説では、秩序回復や大義名分が強調され、流血を前提とする表現は避けられる。しかしフルベッキの前では、岩倉はその建前を外し、国家形成の現実をそのまま語っている。
それは軽率な発言ではない。フルベッキは、西洋における国家形成が革命や内戦を経て成し遂げられてきたことを理解する人物だった。理念と暴力が切り離せない関係にあることを前提に共有できる相手だったからこそ、岩倉は本音を明かした。そこには、単なる助言者以上の信頼関係が存在していた。
このやり取りは、明治国家が自己像を巧みに使い分けていたことを示している。国内には理想と正統性を語り、限られた対話の場では強制力を含む現実を共有する。その二重構造は未熟さではなく、過渡期国家が秩序を保つための戦略だった。
岩倉具視の率直すぎる本音は、冷酷さの証ではない。それは、国家を成立させるために避けられない選択を引き受ける覚悟の言葉だった。そして、その覚悟を外国人顧問にまで明かした点に、新政府が彼らを単なる技術者ではなく、国家形成の思考を共有する対話相手として位置づけていた姿勢が、はっきりと表れている。
この発言は公式記録には残りにくい。しかし国家はしばしば、記録に残らない言葉によって形づくられる。岩倉の沈黙の奥の言葉は、明治日本が理想と現実の両方を引き受けながら誕生した国家であったことを、静かに物語っている。
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