Wednesday, December 31, 2025

お雇い外国人 誰が一番偉いのかと問われた夜――嘉永年間 民主主義を語った外人ラナルドマクドナルド

お雇い外国人 誰が一番偉いのかと問われた夜――嘉永年間 民主主義を語った外人ラナルドマクドナルド

嘉永年間の日本社会は、武士を頂点とする明確な身分秩序の上に成り立っていた。政治とは序列を定め、その序列に従って命令が下り、責任が上から下へと流れていく仕組みである。異国船が来航すると、役人たちがまず確認したのは艦の大きさや火力だけではなく、その船を率いる者の階級や地位であった。交渉とは、互いの身分を釣り合わせる行為であり、権威は常に具体的な個人に宿るものと考えられていた。

その場にいた外人ラナルドマクドナルドは、そうした問いかけに対し、西洋社会の政治観を率直に説明した。米国では、艦長や政府の高官が権威の源ではなく、人民こそが権威の根拠である。役職や階級は人民から一時的に委ねられた役割にすぎず、固定された身分ではない。彼にとってそれは思想というより、日常的な社会の前提であった。

しかし、この説明は武士たちの理解の枠組みと決定的に噛み合わなかった。人民が偉いという言葉は耳に届いても、それを政治の実態として想像することができない。そこで返された問いが、「では一番偉い者は誰か」である。この問いには、権威は必ず頂点に集約されねばならないという前提が色濃く表れている。序列なき統治、中心を持たない権威という発想は、身分社会の思考には存在しなかった。

このすれ違いは、知識や説明の不足によるものではない。民主主義という言葉は翻訳できても、それを支える価値観までは共有できなかったのである。人民が権威の源であるという考えは、法の前での平等や個人の自律を前提としており、武士と百姓、士分と町人を峻別する社会秩序と根本から衝突していた。

マクドナルドは、この断絶を前にして論争を挑んだわけではなかった。彼は自分の社会ではそうなっていると語ったにすぎない。しかしその説明は、日本側にとって理解しがたいだけでなく、秩序を揺るがしかねない不安な響きを伴っていた。もし人民が権威の源であるなら、誰が命じ、誰が責任を負うのか。その答えが見えない思想は、制度として受け取られることはなかった。

この会話は、幕末直前の日本が直面していた見えない壁を象徴している。技術や軍事力は比較できても、政治の正統性をどこに置くかという問題は容易に共有できない。民主主義は説明され、言葉として理解されても、身分秩序を前提とする社会の中では宙に浮いたままであった。誰が一番偉いのかという問いに戻ってしまうその瞬間に、価値観の断絶が静かに露わになっている。

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