敗北の現場から語る 大岡昇平と戦争体験の倫理 一九四〇年代から一九六〇年代
大岡昇平の文学は、戦争を体験した者が、その体験をどのような言葉で引き受けうるのかという問いから始まっている。彼の作品の厳しさは、反戦の理念や戦争批判からではなく、飢えや恐怖、自己保身といった人間の極限状態を徹底して見つめ直す姿勢から生まれている。
大岡は太平洋戦争末期、フィリピン戦線で敗走と捕虜体験を経験した。組織として崩壊した日本軍のもとで、兵士は国家の一部ではなく、飢えた個体として放り出される。その現実を、大岡は神話化や美化を拒み、事実として書こうとした。『俘虜記』や『野火』に描かれるのは、勇気や忠誠ではなく、生き延びるために人がどこまで堕ちうるかという問いである。
戦後直後、日本社会は戦争責任を十分に総括しないまま復興へ向かったが、大岡は被害者意識に安住することなく、加害の可能性を含む自己へ視線を向けた。略奪や死体からの剥奪、人肉食にまで踏み込む姿勢は、戦争を異常な出来事として切り離すことを拒むものだった。
一九五〇年代から六〇年代、戦後民主主義や社会的リアリズムが主流となるなかで、大岡は思想や運動の言葉を前面に出さず、記録と内省のあいだを往復する文体で戦争体験を描いた。善悪の判断を読者に委ねるその冷静さが、かえって強い倫理的緊張を生んでいる。
高度経済成長期に戦争の記憶が薄れていくなかで、大岡の文学は忘却への抵抗としての意味を持ち続けた。英雄も救済も示さず、それでも語り続ける姿勢そのものが、戦後文学における戦争体験の倫理を体現している。
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