Wednesday, December 31, 2025

お雇い外国人 名を伏せた招き――禁制の影で進む知の導入とグイド・フルベッキ(明治初年 一八六〇年代後半から一八七〇年代初頭)

お雇い外国人 名を伏せた招き――禁制の影で進む知の導入とグイド・フルベッキ(明治初年 一八六〇年代後半から一八七〇年代初頭)

明治初期の日本は、政体が変わったにもかかわらず、思想と制度の多くが旧体制を引きずる過渡期にあった。とりわけ宗教政策は、その矛盾が最も鋭く現れる分野だった。近代国家の建設を掲げながらも、江戸期以来の邪宗門禁制はなお効力を持ち、キリスト教は警戒と忌避の対象であり続けていた。禁教の高札は撤去されず、浦上教徒事件に象徴されるように、信仰そのものが統治の問題として扱われていたのである。

こうした環境の中で、日本の近代化に深く関与した人物が、宣教師であり教育者でもあったグイド・フルベッキである。フルベッキは単なる布教者ではなく、語学、政治思想、宗教倫理を横断的に理解した知識人であり、日本側の若い指導層にとっては、西洋社会を読み解くための貴重な窓口だった。しかし彼が宣教師であるという事実は、政府が彼を公然と雇用するうえで、大きな障害となった。

政府内部では、フルベッキの能力と必要性を認めつつも、「表向き政府雇いでは議論が起こる」という懸念が共有されていた。邪宗とされる宗教の担い手を官費で招くことは、尊皇攘夷的感情がなお強い社会において、政府の正統性そのものを揺るがしかねなかった。問題は実務ではなく、形式だった。誰を、どの名目で、どの立場に置くのか。その見え方自体が政治だったのである。

その結果として取られたのが、形式と実態を意図的に分離する対応だった。フルベッキは明確な官職や公式な雇用形態を与えられないまま、私的な関係や非公式な助言者として活動する。一方で実際には、教育、翻訳、思想的助言を通じて、近代国家形成の核心に深く関与していく。この曖昧な位置づけは、未整理ゆえの混乱ではなく、過渡期を乗り切るための計算された選択だった。

フルベッキ自身も、この立場を理解していた。彼は布教を前面に押し出すことなく、日本側の要請に応じて知識を提供し、宗教を信仰ではなく文化と倫理の体系として説明した。キリスト教は祈りの対象ではなく、西洋社会の思考様式を理解するための鍵だったのである。その姿勢は、日本側にとっても受け入れやすく、禁制下においても実務的な協力関係を可能にした。

やがて禁制は解かれ、フルベッキのような人物は公的に位置づけられていく。しかし、その前段階には、名を伏せ、形をぼかしながら知を導入するという静かな工夫があった。フルベッキ招請をめぐる密かな配慮は、明治初期が制度的にも思想的にも未完成であったこと、そしてその未完成さを管理しながら前進する現実主義を備えていたことを、端的に物語っている。

禁制の影で果たされたフルベッキの役割は、表に出にくいが決定的だった。近代日本は、理念の断絶によってではなく、このような慎重な媒介者を通じて、静かに形づくられていったのである。

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