水の記憶を還す小径 ― 長野県戸倉町・1990年代半ば
1990年代半ば、長野県戸倉町は生活雑排水による農業用水の汚染に直面していた。農薬や生活排水の混入は水質を悪化させ、かつて水辺に生息していたゲンジボタルは姿を消していた。バブル崩壊後の停滞期にありながら、全国的に環境意識が高まり、リオ地球サミットを契機に「持続可能な社会」の理念が広がっていた時代背景の中で、戸倉町は地域資源を活かした独自の取り組みを開始した。それは砕石と木炭を組み合わせた簡易濾過装置による農業用水の浄化であった。木炭の多孔質構造は有機物や化学物質を吸着し、微生物の作用と相まって水を浄化する。電力や薬品を必要とせず、地域の素材を用いた低コストで持続可能な技術は、農村環境に適したものであった。結果は明らかで、水質は改善され、失われていたゲンジボ�
�ルが再び現れ、地域住民に自然回復の象徴として受け止められた。さらに、使用済みの木炭は粉砕され、土壌改良材として田畑に還元される循環利用が実現した。この仕組みは単なる水質改善ではなく、暮らしと自然を往還させる新たな小径となった。戸倉町の事例は、地方が大規模施設や巨額投資を持たずとも、身近な素材と工夫によって環境修復を成し遂げられることを示す先駆的な試みであり、持続可能な社会づくりの象徴的実践として評価されるべきものだった。
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