銀幕に咲いた歌声 久慈あさみ ― 戦後モダン女優の肖像(一九五〇〜一九七〇年代)
久慈あさみ(1922–1996)は宝塚歌劇団出身の女優であり歌手でもあった。宝塚で培った舞台感覚と歌唱力を武器に、戦後日本の銀幕に新しい女性像を刻んだ。新東宝時代には『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』といった主演作を残し、歌手としても「チャッカリマンボ」や「ボタンとリボン」をヒットさせた。1952年には東宝と専属契約を結び、以後『社長シリーズ』では森繁久彌の相手役として"恐妻"を演じ、庶民的かつユーモラスな女性像を定着させた。このシリーズは28本に及び、戦後日本のサラリーマン社会を映す鏡となった。さらに『俺の空だぜ!若大将』(1970年)では青春映画の母親役を演じ、世代を超えて親しみを得た。
彼女の代表作のひとつ『銀座カンカン娘』(1949年)では、明るい歌声と都会的な佇まいで戦後復興期の希望を象徴した。この作品は庶民が憧れた銀座の華やかさを背景にし、彼女の歌声が時代の気分を明るく塗り替えた。久慈の存在は、映画が娯楽であると同時に人々の生活への励ましであったことを示す好例といえる。
同世代の女優としては、高峰秀子や原節子が抑制された演技で日本映画のリアリズムを代表したのに対し、久慈は歌とユーモアで観客を惹きつけた。田中絹代が深い人間ドラマを追求したのに比べ、久慈は明るさと庶民性を前面に出し、日常を軽やかに照らす役割を果たした。淡島千景や南悠子と並び「銀座の三羽烏」と呼ばれたのも、時代が求めた華やかさと女性らしさの象徴であったからだ。
久慈あさみは1971年に映画界を退き、以後はテレビや舞台で活躍。晩年は正教会信徒として静かな生活を送り、1996年に没した。彼女の銀幕での姿は、戦後日本が失ったものと得たものを映し出す鏡であり、希望を歌に乗せて届けた数少ない女優の証しであった。
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