未来をほどく土に還る器―生分解性プラスチックの挑戦・1995年
1995年の日本は、不況と廃棄物の山が並走する時代でした。容器包装リサイクル法が同年に制定され、段階施行という制度の土台作りが始まります。資源循環を命題に据えるこの法整備は、使い捨て中心の生活を見直す合図になりました。
生分解性プラスチックの発想は単純で力強い。微生物の働きで最終的に水と二酸化炭素へ。ただし、その約束は条件付きであり、工業的コンポストという管理環境が要ります。欧州のEN13432や米国のASTM D6400は、分解度や残渣の基準を設け、商業コンポストでの分解を証明する枠組みを整えました。
素材の系譜もこの頃に枝分かれしました。デンプン系、ポリ乳酸(PLA)、ポリカプロラクトン(PCL)、微生物由来のPHAなどです。PLAは成形性に優れる一方で耐熱性に課題があり、結晶化やブレンドによって改良が進みました。PHAは土壌や海水でも分解可能である点が注目され、実用化研究が続きました。
国際的潮流とも呼応し、欧州では市場導入が議論され、日本もそれに追随。国内需要は年間三百万トン規模と予測され、新たな市場創出の可能性を秘めていました。ただし、海洋では分解速度が遅いため、回収と処理の仕組みを前提とした利用が求められました。
すなわち1995年前後の挑戦は、素材の改良と社会の受け皿整備の二本立てで進められました。規格が基準を示し、技術が応用範囲を広げる。その両輪が未来の生分解性プラスチック市場の基盤を形づくったのです。
No comments:
Post a Comment