廃炭の庭に響く水の記憶―大阪府河内長野市と長野県戸倉町・1995年9月
1995年、日本はバブル崩壊後の長引く不況期だったが、環境意識の高まりとともに地域主導型の水質改善手法が試され始めていた。都市化による生活排水や農薬の流入で、水辺の生態系はじわじわと痛めつけられており、自治体・民間双方が「自然との共存」を模索していた時代である。
大阪府河内長野市、天野カントリークラブでは、敷地内に小規模な炭焼き小屋を設け、枯れ木や剪定枝を炭化して自家製木炭をつくった。この木炭を池底や水路に沈め、水中の有害物質を吸着・浄化する方式を採用。農薬残留は大幅に低減され、さらに炭焼き副産物の木酢液を害虫抑制に活用。炭灰を粉末にして芝地や土壌に散布し、土壌改良にも応用した。このような循環利用型の手法は、ゴルフ場の環境負荷を和らげる新たな試みとして注目を集めた。
一方、長野県戸倉町では、農業用水路や用水池に木炭を導入し、生活雑排水や農薬流入に起因する汚染を緩和。この水質改善の結果、長らく姿を消していたゲンジボタル(川蛍)が再び確認されたという。ホタルは水質の良好さを象徴する生き物であり、この復活は地域住民に強い印象を残した。木炭は使い回し可能で、劣化後は土壌改良材として散布されるなど、最後まで資源価値を引き出す循環性の高い技術として設計されていた。
当時、林野庁や環境行政では、間伐材や未利用材の活用を図る「木材新用途開発」への関心が高まっており、地域資源を環境保全に結びつける手法が各地で模索されていた。こうした流れの中で、河内長野と戸倉の事例は、技術的にも制度的にも先駆的な環境修復モデルといえる。木炭吸着浄化、木酢活用、ホタル指標という一連の技術と生態観察を組み合わせた試みは、90年代中盤の日本が抱えていた廃棄物過多・水質悪化への答えの一片を提示していた。
この物語は、地域が自然を手繰り寄せ、「廃材」を「水の守護者」に変えた挑戦そのものであり、「自然が応えてくれる」という詩情を残す再生の記憶である。
No comments:
Post a Comment