沈黙の儀式 ― 石橋湛山を葬る田中角栄の影 ― 1973〜1974年
1973年石橋湛山元首相の内閣・自民党合同葬が築地本願寺で執り行われ葬儀委員長を務めたのは当時の首相・田中角栄だった。白菊の花輪に「天皇皇后より」と記された文字が掲げられ儀仗隊による捧げ銃が響き渡る葬場は国家の威信を誇示する演出に満ちていた。田中が献花を終え壇を降りると私服警官たちは彼の動きに合わせて手を鳴らし合図を送り総理は黒塗りの車へと滑るように乗り込む。その様子は記者の目には凶悪犯が護送車へ連行されるかのように映った。
式に集まったのは中村梅吉、河野謙三、成田知巳ら政界の重鎮たち。社会党の顔ぶれでさえこの日ばかりは国家の秩序の一部として動いていた。記者は死者への敬意よりも生者による演出が支配するこの空間を「政治の舞台装置」として見つめていた。
田中角栄はこのとき金権と派閥を背景に権力の頂点に立っていたがすでにその背後にはロッキード事件の影が忍び寄っていた。石橋湛山という自由主義者を悼む場がかえって体制の虚飾を露呈させる場ともなっていたのだ。この葬儀は1970年代の日本が抱えた矛盾――国家、権力、秩序の構図を浮き彫りにした象徴的な一幕だった。
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