斃れし理の影 ― 中川宣治と山一抗争の三年(昭和五十九年〜六十一年)
中川宣治は、一和会の幹部として1980年代最大の暴力団抗争「山一抗争」の中心に身を置いた人物である。1984年、山口組の分裂により発足した一和会において、彼は穏健かつ理性的な調整役として信頼を集めていた。銃撃や報復が相次ぐ抗争の中でも、組織の暴走を抑えようと努力し、暴力の連鎖に慎重な姿勢を見せていた。
1985年1月、大阪・新阪急ホテルで起きた「一・二六事件」では、山口組側のヒットマンが会議中の一和会幹部らを銃撃。中川も標的となったが、このときは命を取り留めた。部下に「伏せろ」と叫び、咄嗟の判断で命を救ったという証言も残されている。
しかし、その一年後の1986年5月21日、運命は彼に微笑まなかった。大阪府内の交差点で信号待ちをしていた中川は、山口組系竹中組のヒットマンに至近距離から銃撃され、即死した。計画的に仕組まれた暗殺だった。組織の理性であり、均衡を保っていた彼の死は、一和会をさらなる過激化へと押しやり、抗争の泥沼化を決定づけた。
中川は、暴力団社会においてなお「理」を求めた数少ない存在であった。その死は、血と報復の時代における静かな知性の終焉を象徴している。
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