Friday, March 28, 2025

指先を焼かれた亡命 ― 生体認証をすり抜けた女の旅(2009年冬)

指先を焼かれた亡命 ― 生体認証をすり抜けた女の旅(2009年冬)

2009年の冬、日本の成田空港で一人の女性が入国審査官の前に立っていた。彼女の名はリン・ロン、27歳の中国人女性。彼女の過去には、日本での不法滞在と強制送還という経歴があった。日本では2007年から、外国人に対し入国時の顔写真と両手の指紋採取を義務づける生体認証制度が施行されており、強制退去歴を持つ者の再入国はこの制度によって封じられていた。しかし、リン・ロンはその壁を越えるためにある手段を選ぶ――自らの指紋を消すという決断である。

リン・ロンは約14600ドル、日本円にして135万円近い大金を投じ、指紋を変える手術を受けた。彼女の十本の指は焼かれ、切られ、縫合されて新たな皮膚模様をまとった。整形されたその指は、もはや彼女自身を証明するものではなく、まるで過去を封じ込めた新たな仮面のようであった。そして彼女は、自分によく似た別人のパスポートを手に、再び日本への道をたどった。

成田空港の入国審査では、顔認証は無事に通過した。パスポートの写真と本人の外見が似ていたため、システムは何も疑わなかった。しかし、指紋認証の段階で機械は異常を察知する。読み込まれた指の情報が、どの登録データとも一致しなかったのである。その瞬間、リン・ロンの旅は止まった。審査官は手動での確認に移り、彼女の指先に不自然な手術痕を見つけた。縫い目の跡、火傷のような歪み――それは、彼女が過去を消し去るために払った代償そのものだった。

追及の末、リン・ロンの正体は明らかとなり、彼女は入管難民法違反で現行犯逮捕された。この事件は、日本のみならず国際社会に波紋を広げた。指紋――それは唯一無二の個人を証明する手段とされてきたが、手術によって変えられるという事実が示された瞬間だった。BBCやCNNなどの国際メディアはこの出来事を大きく取り上げ、「生体認証は本当に安全か?」という問いが世界に投げかけられた。

事件後、日本の法務省と入国管理局は、指紋改変を検出する技術の導入や、顔認証との多要素照合、さらには審査官の目視や直感を重視した人間的判断の強化に乗り出した。生体認証技術がいかに精密であろうとも、人間の創意や執念の前では完璧ではないという事実が、この一件を通じて浮き彫りとなった。

リン・ロンの試みは失敗に終わった。しかしその指先が語るもの――それは、制度を超えて生きようとする一人の人間の意志であり、そして現代の監視社会のひずみを照らし出す、痛切な証しでもあった。

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