Sunday, March 30, 2025

血の銀座:小林会と力道山刺傷事件 -1963年から2013年の記憶-

血の銀座:小林会と力道山刺傷事件 -1963年から2013年の記憶-

村田勝志(むらた かつし、1939年4月1日〜2013年4月9日)は、昭和の裏社会にその名を刻んだ伝説的な暴力団員である。東京・築地で生まれ育ち、若くして非行に染まり、住吉会系の小林会に加入。「カミソリ村田」と呼ばれたほどの気性と腕っぷしで、やがて幹事長や理事長といった要職にまで上り詰めた。彼を取り巻く時代は、暴力団同士の勢力争いが激しさを増す高度経済成長の只中であり、特に銀座をめぐる抗争は東京の裏の権力地図を揺るがすものだった。

当時の小林会を率いていたのが、小林楠扶(こばやし くすお)である。住吉会の重鎮として知られ、配下の村田もまた、その忠実な幹部として働いていた。1960年代当時、住吉会系の小林会は、銀座界隈を拠点に勢力を伸ばしていた東声会(現・東亜会)と対立関係にあり、両者は一触即発の緊張状態にあった。

1963年12月8日、赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」において、村田とプロレスラー・力道山との間で口論が発生する。力道山は東声会と親交が深く、その背景が村田との対立に火をつけたとされている。口論の末、村田はナイフを取り出し、力道山の腹部を刺傷した。事件直後、力道山は一旦自宅に戻ったが、腹膜炎を発症し、入院後も症状は悪化。刺傷から1週間後の12月15日、敗血症により死去するに至った。死因は明確に刺傷に起因するものであり、日本中に衝撃を与えた。

村田はこの事件により傷害致死罪で起訴され、懲役7年の刑を受けて服役する。出所後は再び住吉会系の組織で活動を続けたが、かつての暴風のような活躍とは裏腹に、晩年は糖尿病に苦しめられ、2013年4月9日、74歳でこの世を去った。彼の血を受け継いだ娘・篠原光は、女子総合格闘家として新たなリングでの人生を歩むことになる。

村田勝志という一人の男を軸に浮かび上がるのは、暴力団と芸能、スポーツ、社会の接点という日本戦後史の一断面である。その陰影を丹念に描いたのが、作家・山平重樹による評伝『力道山を刺した男 村田勝志』(徳間書店、2023年)である。力道山事件の真相、銀座をめぐる暗闘、そして小林会という組織の実像までもが克明に描かれている。また、2022年12月には『週刊新潮』(デイリー新潮)による回顧記事が発表され、事件の再評価とともに当時の関係者の証言が世に出された。

さらにYouTube上では、村田勝志に関する証言や証拠映像が公開されており、伝説として語られていた事実が、映像というかたちで再び社会に共有され始めている。こうした記録は、ただの暴力事件として片付けられがちな過去を、個人の生と死、時代の軋みの中に正確に刻みつけるものである。

【関連情報】

山平重樹『力道山を刺した男 村田勝志』(徳間書店、2023年)
Wikipedia「村田勝志」
デイリー新潮(2022年12月15日)「力道山刺傷事件の真相」
ライブドアブログ「任侠時代考察:小林会」
YouTube「村田勝志親分インタビュー『力道山を刺した伝説のヤクザ』」

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