Monday, March 31, 2025

義に生き、義に去る――末次正宏の任侠と出家の軌跡(昭和〜昭和63年)

義に生き、義に去る――末次正宏の任侠と出家の軌跡(昭和〜昭和63年)

末次正宏氏は、日本の任侠界における著名な人物であり、三代目山口組の井志組舎弟頭や一和会の事務局長などを務めました。その信念と義理を重んじる姿勢は、右翼思想家・三上卓が詠んだ一句にも表れています。

> 「鉄砲に 守られし世に 義を通す」

この句は、暴力と対峙する世界においても「義」を貫く末次の姿勢を象徴するものです。三上は国家主義的な価値観をもって人を評価する思想家でしたが、末次の筋を通す態度に強く共鳴し、この一句を贈ったとされています。

昭和63年(1988年)、末次正宏は出家し、法名「義真(ぎしん)」を授かりました。出家の背景には、長年にわたる任侠人生に一区切りをつけ、自身の「義」の信念を仏道に昇華させたいという強い思いがあったとされています。

特筆すべきは、この出家が山口組と一和会の血で血を洗う抗争、いわゆる「山一抗争」のさなかであったことです。当時、末次は一和会の事務局長という極めて中枢的な立場にあり、抗争の最前線にいた人物でもありました。そのような時期に敢えて表舞台から身を引き、仏門に入った決断は、内外に大きな衝撃を与えました。

出家の際には、全国の任侠関係者や右翼思想家たちが一堂に会し、異例の盛大な得度式が行われました。この場には、一和会時代の同志や敵対していた人物すら駆けつけ、末次の歩みに敬意を表したと言われています。

この出家は単なる引退ではなく、「暴力に頼らず、義をもって世に示す」覚悟の表明であり、彼の人生観の到達点ともいえる出来事でした。その後の末次は法衣に身を包み、宗教活動や講演などを通じて、任侠とは何か、義とは何かを説き続けたと伝えられています。

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