Saturday, March 8, 2025

水の調べ、盃の月――吉原に咲き、儚く散った玉菊の物語

水の調べ、盃の月――吉原に咲き、儚く散った玉菊の物語

江戸中期、吉原遊郭の名花として名を馳せた玉菊は、才色兼備の太夫であり、特に河東節の三味線の名手として知られた。その繊細な音色は「水の調べ」と称され、聴く者の心を揺さぶった。彼女の演奏は文化人をも涙させ、死後には名手・十寸見蘭洲が「傾城水調子」を作り、彼女を偲んだ。

また、玉菊は吉原随一の酒豪でもあり、豪商との酒比べでも決して酔い潰れることはなかった。しかし、皮肉にも酒が彼女の命を縮め、1726年に25歳でこの世を去った。彼女の死を悼み、吉原では「玉菊燈籠」と呼ばれる供養が行われ、やがて吉原三景のひとつとなった。

彼女を身請けしようとした武士もいたが、玉菊は吉原を離れることなく儚く散った。その生涯は、芸の極みと美しさを象徴し、今も江戸文化の中に生き続けている。

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