Wednesday, March 5, 2025

音曲栄華物語 ー 映し世に消ゆる歌声の行方 - 1975年2月

音曲栄華物語 ー 映し世に消ゆる歌声の行方 - 1975年2月

1970年代半ば、日本の音楽業界とテレビ業界は急速に結びつきを強め、テレビ局が音楽市場を支配する時代へと移行しつつあった。歌番組が視聴率を取るための重要なコンテンツとなる一方で、レコード会社や芸能プロダクションはテレビの影響力を利用し、視聴者の心をつかむスターを次々に生み出していった。音楽の価値が、単なる「作品」ではなく、「映像として消費される商品」へと変わっていった時代である。

この流れを決定づけたのが、渡辺プロダクション、通称ナベプロの影響力だった。1970年代前半、ナベプロは芸能界の50%以上を独占し、所属タレントがテレビ番組を席巻していた。歌手のキャスティングはナベプロの意向に左右され、音楽業界全体がその支配下にあるかのような状況だった。「芸能界はまだまだまともではない。ナベプロが50%以上を支配している状態では、多様性が生まれない」と、ある関係者は苦言を呈している。事務所の力が強すぎるあまり、同じプロダクションに所属するタレントばかりが出演する歌番組が増え、それによって特定の歌手が意図的に売り出される仕組みが出来上がっていた。

さらに、音楽業界を支配しつつあるのはナベプロだけではなかった。テレビ局自体が音楽市場のコントロールを強め、「テレビ局が音楽業界を育成するという名目で、逆に支配する構造になっている」という指摘もあった。それまでレコード会社が担っていたアーティストの育成や楽曲のプロデュースは、次第にテレビ番組の演出やプロデューサーの意向に大きく左右されるようになった。テレビ局は視聴率を最優先とし、実力よりも映像映えするキャラクターや話題性のある人物を次々とスターに仕立てていった。こうして、音楽が本来持つ芸術性よりも、短期間で売れることが最優先される風潮が生まれていった。

その結果、歌唱力が未熟なままテレビに登場する新人歌手が急増し、「最近は歌唱力のない歌手が次々にスターになっている」と批判される事態となった。従来ならばライブやレコードを通じてじっくりと成長し、実力をつけていくはずの歌手たちが、テレビ番組の演出の力によって即席で「売れる存在」として消費されるようになっていたのだ。歌番組では、音楽そのものよりもスターのキャラクターが重視され、歌手自身の物語や私生活までが演出の一部として利用された。このようにして、音楽業界とテレビ局の共犯関係が生まれ、スターを生み出す「工場」のようなシステムが確立されていった。

こうした流れの中で、音楽番組の演出も大きく変化した。かつての歌番組は、純粋に歌を披露する場であったが、1975年ごろにはバラエティ要素を取り入れ、視聴者を楽しませるための工夫が凝らされるようになった。『紅白歌合戦』では衣装対決が話題となり、人気歌手がコントやトーク番組に出演する機会が増えた。音楽番組は、単なる音楽の発表の場ではなく、歌手のキャラクターを売り込むためのエンターテイメント番組へと変貌していった。

こうした流れの中で、音楽業界はテレビとの関係をますます深めながら、本来の音楽的価値とは異なる方向へと進んでいった。ナベプロの支配が続く中、他の芸能プロダクションやレコード会社もテレビ局との提携を余儀なくされ、視聴率至上主義の中で生き残ることを求められた。結果として、日本の音楽業界は「音楽の実力」ではなく、「テレビに出られること」が最大の価値となり、視覚的要素や話題性を最優先する時代へと突入したのである。

この変化は、のちにアイドルブームへとつながり、音楽業界の商業化をさらに推し進めることとなった。テレビと音楽の融合は、スターを次々に生み出し、大衆文化を大きく変えていく。しかしその一方で、音楽とは何か、歌手とは何かという本質的な問いが、徐々にかき消されていく時代でもあった。

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