泥沼の舟、活字の波 ― 競艇と出版の賭け 1974年6月
俺はかつて競艇にハマっていたことがある。きっかけは、友人に誘われて江戸川競艇場へ行ったことだった。最初は適当に賭けていただけなのに、なんと3000円が4万円に増えた。これはすごい。こんなに簡単に金が増えるものなのか、と有頂天になった俺は、タクシーで大学に乗りつけ、前から欲しかったセーターや靴を生協の売店で買い、ビヤホールで友人と乾杯した。手元にはまだ5万円が残っている。これを元手に、明日から大儲けできるに違いない──そんな甘い考えを持っていた。
しかし、世の中はそう甘くない。翌日からの勝負は連戦連敗。たった2日で全財産を失った。時計、百科事典、漱石全集、レコード、ステレオ、洋服、電気こたつ、万年筆……思いつく限りのものを買い込んでもまだ足りず、気がつけば借金までしていた。泥沼にハマったギャンブラーの典型的なパターンだ。
ギャンブルに強い人間というのは、常に冷静でクールな目を持ち、ここぞという勝負どきには果敢な決断を下せるヤツのことだ。だが、それには何より「懐に余裕があること」が必要だ。そりゃそうだ。もしこの1000円をすったら明日から飯が食えない、なんて状況で、どうして落ち着いて勝負に挑めるっていうんだ?
そんなことを考えていた俺だが、ふと気づいた。「俺は今、競艇どころじゃないギャンブルをしているじゃないか?」 それが出版業だ。
雑誌の編集をやっていると、これはこれで競艇と大して変わらない。賭けるのは金ではなく、時間・労力・人脈・資金。あるテーマが当たれば大儲け、外せば大赤字。どれだけ計算しても、読者の反応や時代の流れに振り回される。競艇で当たるかどうかを考えるのと同じように、「この企画はウケるのか?」と常に神経をすり減らす。つまり、競艇が「一回ごとの勝負」なら、出版業は「終わりのない勝負」なのだ。
競艇では、すべての勝負が金に直結する。エンジンの調子や天候、選手の実力がすべて結果を左右する。そして、一回のレースで大儲けすることもあれば、一瞬で全財産を失うこともある。一方、出版業もまた結果を読者や時代の流れに委ねる世界だ。どれだけ編集者が頭をひねって企画を立てても、それが読者に刺さらなければ雑誌は売れず、会社は赤字を抱える。結局、競艇の勝者が冷静な判断力と資金の余裕を持っているように、出版の世界でも「何が売れるか」を見極める冷静な目と、資金繰りの力がなければ生き残れない。
リスクの面では、競艇は一回ごとの勝負だ。1000円を賭けて負けても、次のレースに賭ける資金があれば巻き返しのチャンスはある。しかし、出版業は違う。雑誌は毎月、あるいは隔週で出し続けなければならない。もし一度失敗しても、次の号を作らなければならない。そして、失敗が続けば、会社そのものが潰れてしまう。競艇が「短期決戦のギャンブル」なら、出版業は「終わることのない長期戦のギャンブル」だと言える。
俺は思った。「結局、俺は競艇に負けて悔しがっていたけど、もっとデカいギャンブルをやってるじゃないか」と。そして、そのギャンブルの方が、遥かに深く、危険で、抜け出せない沼だったのだ。
結論
俺は競艇で負けて「泥沼にハマるのでは」と不安になっていたが、よく考えてみれば俺はすでにもっと深い泥沼(出版業)にどっぷりハマっているのだった。競艇は負けても一旦やめれば終わるが、出版業はやめたくてもやめられない。どれだけ金がなくても、どれだけ危険でも、次の号を作らなきゃならない。これはもうギャンブルというより、逃げられない勝負なのだ。
競艇に強い人間が「冷静で、資金に余裕がある」ことが必要なら、出版の世界で生き残るには「冷静な判断力と資金運営能力」が必須だ。どちらも、簡単に勝てる世界ではない。
結局のところ、人生そのものがギャンブルなのかもしれない。
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