「火と革命と若き血の記」――昭和四十三年から四十四年の記録
あの年、俺は大学の分校にいた。いや、分校に"通っていた"なんて言い方じゃ、全然追いつかない。俺たちはそこに「乗り込んでた」んだ。教養課程? そんな名前に甘んじてる場合じゃなかった。気づけば全学ストライキの議長になっていた。ストは中止になったけど、その翌年には放学処分を食らった。学校に「お前、もう来るな」って言われたわけさ。なんとも劇的な追い出され方だろ?
火炎瓶が飛び交ってた時代だ。共産党も、その辺のセクトも、みんな火の海を正義の証明みたいに掲げてた。俺だって、その熱に一度は吸い寄せられたんだよ。でも、幻滅は早かった。暴力に巻き込まれるよりも先に、俺の中の何かが冷めていった。宮本顕治の演説よりも、寺山修司の言葉のほうが心に刺さった。永六輔が街頭でマイクを握ってた時代に、俺は自分の言葉を探してた。
そこからだ。俺が歴史を自分で読み直しはじめたのは。火炎瓶の代わりにペンを持って、古本屋の裏棚にこもった。何百冊も読み漁った。石母田正の歴史書や、上田耕一郎の共産主義理論まで読んだ。けど、最後に残ったのは誰の理論でもない、俺自身の体験だった。
歴史ってのは、講義室の黒板に書かれた年号じゃない。こめかみに火薬の匂いが残ったまま、眠れない夜にうなされた記憶。それを言葉にしたくて、俺は小説を書きはじめた。革命の夢を失って、言葉の中に火を探してた。丸山眞男じゃないけど、「政治的なるもの」に俺は中指を立てたかったんだ。
闘争に敗れて、俺は逃げた。でも、ただ逃げたんじゃない。別の武器で、別の戦い方で、俺なりの歴史を刻みたかった。あの年、俺はひとつの時代と、確かにぶつかったんだ。若かった? ああ、若かったとも。でも、嘘はひとつも吐かなかったぜ。
【関連資料】
・『日本の1968――私たちは何を夢見たのか』筒井清忠 編
・『1968年の革命的衝動』鵜飼哲 編
・『東大全共闘1968-1969』山本義隆
・『1960年代の政治と文化』吉見俊哉
・『破防法』に関する法務省資料
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