牧野國泰(まきのくにやす、本名:李春星〈り・しゅんせい〉)は1927年に日本で生まれた在日韓国人二世である。戦後の混乱と差別の中で育ち、若くして任侠の世界に足を踏み入れた彼は、筋を通す生き方を貫き、松葉会五代目会長にまで上り詰めた。その生涯には、個人の信義と組織の論理が激しく交錯しながらも、己の道を見失わなかった不動の覚悟があった。
彼がまず名を上げたのは群馬県を拠点とする北関東大久保一家である。1970年、十代目総長に就任し、地元の親分衆からも一目置かれる存在となった。のちに関東一円の有力団体で構成される藤友連合会の一角としても重きをなし、その名は静かに広がっていく。そして1993年12月、関東に本部を構える有力指定暴力団・松葉会の五代目会長に就任。このとき彼は、単なる権威の象徴ではなく、筋を通し義理を重んじる人物として、組織の内外に強い信頼を築いていた。
松葉会は戦後に関根組として発足し、東京都台東区上野を拠点に活動を続けてきた。比較的穏健な姿勢を貫いてきたことで知られるが、その路線を支え、強化したのが牧野である。彼の指導のもと、組織は無用な衝突を避けつつ、地域に根差した関係づくりを図るようになった。
その人物像は山平重樹の二作『千年の松』と『不退ヤクザ伝』によって深く描かれている。『千年の松』では、少年期から会長就任までの波瀾に満ちた軌跡が克明に語られている。貧困と差別の中で培われた任侠観、仲間を裏切らず、自らの信念に従って生きる姿勢が中心に据えられている。一方、『不退ヤクザ伝』では、出所後も逃げず、苦境に立っても組織の矢面に立ち続けた牧野の姿が浮き彫りになる。「捨身忠義」という言葉が、単なる美徳ではなく、彼にとっては生き様そのものだった。
その精神を象徴する出来事として、1994年2月に行われた東京都公安委員会の聴聞会がある。これは松葉会を正式に指定暴力団とする手続きの一環であった。通常なら代理人や弁護士が出席するところだが、牧野は自ら会場に足を運び、堂々と正面から答えた。「われわれは表の仕事もしている。世間のすべてを敵に回しているわけではない」と発言したその姿は、傍聴していた関係者たちに深い印象を残した。
この聴聞会での対応は牧野が最後まで逃げない任侠者であったことの象徴であった。口先ではなく、行動でもって信念を示すその姿は、業界内外に大きな影響を与えた。部下たちは口をそろえて、あのときの親分の姿勢に「筋を見た」と語ったという。
牧野國泰の人生は暴力団という枠にとどまらず、人間としての信念と誇りに満ちたものだった。暴力や権力を誇るのではなく、義理と人情の世界で生き抜いたその姿は、今なお任侠の本質とは何かを問いかける。差別の中で育ち、孤立の中で信義を育て、それを貫き続けた一人の男の生き様は、多くの人々にとって記憶に残る灯となっている。
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