建設省が進めるエコシティ計画や多自然型川づくりをはじめとして、昨今では開発に環境保護、自然共生の視点を盛り込むのが基本になっている。
しかし、今回訪問した株式会社東京ランドスケープは、高度経済成長期の1968年創立以来、一貫して「ランドスケープエコロジー」を提唱している環境設計のパイオニアだ。
日本における造園設計分野の第一人者でもある同社の小林治人社長を訪ねた。
●1960年代に無造成建設計画を提案。
小林社長は自らを「設景家」と称する。
「日本では一般にランドスケープ=景観として視覚構造としてとらえる傾向がありますが、私はもっと地域固有の風土や地域保全を反映させた、空間の総合的な概念としてランドスケープ=設景と考えています。
近年ランドスケープという言葉がもてはやされる傾向のなかで、かえって狭い意味でとらえられ始めているのではないでしょうか」そもそも小林社長がこの道に進むことになったのには豊かな自然に囲まれた信州松本で生まれ育ったことが大きいという。
「育った家の庭には様々な木々や草花が植えられていましたが、それぞれの種が求める場所に、できる限りあるがままの姿で着地させてあり、周囲の風景ともよく調和して地域固有の優れた景観を生み出していたように思います」進路を選択する際にも迷うことなく東京農業大学園芸科に進み、卒業後の1968年に株式会社東京ランドスケープ研究所を設立する。
最初の大きな仕事は伊豆の別荘地「エメラルドタウン」の基本設計だった。
当時は所得倍増の推進によって別荘地の分譲がブームだったという。
「基本設計にあたっては、別荘地という、人がくつろぎに来る場所柄も考えて、自然環境を温存させながらの宅地化、すなわち無造成建設計画による開発手法を提言しました。
今ではエメラルドタウンの300ヘクタールは緑あふれる住宅地になっています。
その後各地の自然型別荘地の計画管理を手掛けるきっかけになったという意味からも印象深いですね」70年代以降は集合住宅の造園設景、道路修景、国定公園の公園設計、博覧会の会場整備などの設景発注の本格化とともに同社も成長していった。
同社が設立以来手掛けた仕事は約1,000件にのぼる。
また国内の事業と平行してタンザニアのキリマンジャロ州の野生動物保護計画策定やシンガポールをはじめとするアジアへの海外技術協力を継続的に行っている。
●日本の農村古来の「再生的デザイン」に学ぶ
同社がパイオニアとして行なってきた環境重視の開発計画は、現在の主流になりつつある。
同社が次に求めていくものは何だろうか。
「今後はさらに地球環境に配慮した設景が求められるでしょう。
我々は設景家集団として、動植物から土壌の微生物までを含めた生き物の空間づくりを目指します。
そのためには生き物の空間のしくみ、すなわち生態系の構成を科学的に知り、それをエコシステムとして構築していくことが重要です。
環境はエリアで変化するものなので、その地独自のエコシステムを造っていくことになりますね」今後の都市づくりにも独自の視点をもつ。
「これからは物質循環を考えた都市・生活づくりが必要ですが、私は昔の日本の農村にあった生活のしくみを科学的に分析して都市に移し替えることを提案したい。
昔は生ゴミは畑や家の庭に戻し、お酒や醤油は秤売りで、買い物にはカゴを持っていった。
このようなゴミを出さない日本の古生活は再生的デザインと呼ばれています。
これを現代の都市にそのまま戻すのではなく、合理的な形で再現していくことが必要だと思っています。
エコシティやビオトープなど海外の思想を尊重するだけでなく、日本独自の自然観から学ぶことも大切なのではないでしょうか」し
今後は、同社の基本である設景をベースに少しずつ事業を拡大していきたいという。
「まずは我が社の今までの実績を生かして、全国に3,300ある自治体に低予算で建設できる公園などのマスタープランを提案していくこと。
さらに、造園に使う資材に設景の考え方を取り入れた新しい景観資材の開発を考えています。
またODAなどを通じて発展途上国での事業も増やしていきたいと思っています」。
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