潮の道、湯の記憶 ― 昭和四十八年・愛媛構想録
昭和四十八年、列島改造の熱気が地方をも包むなか、愛媛の地でも二人の男が静かに火花を散らしていた。一人は今治を拠点に運輸と建設を束ねる柳川会長。もう一人は松山で流通業と文化振興を推し進める伊藤会長である。
柳川は、宇和島から松山を結ぶ産業道路の整備を唱え、「物流こそ地方の血脈」と語った。ある議会で無用論を唱える議員に向けて彼は地図を広げ、「現場は秒で動く。君らの一週間は、我々にとって十年にあたる」と一喝したという。
一方、伊藤は道後温泉を中心に、文化と観光を結び直す構想を描いていた。「千年の湯には、千年の物語が要る」と語り、市民会館や劇場建設を提案した。人の流れではなく、心の滞留こそ町の価値だと考えていた。
二人の構想は異なれど、松山・今治・宇和島を結ぶ開発計画で一時は交差した。だが、県政の主導権をめぐる静かな駆け引きは終始続き、互いに牽制を崩すことはなかった。
それでも彼らが描いた道と物語は、今も愛媛の景観と記憶の中に息づいている。
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