反逆児の問いかけ ― 立川談志の孤高の道(1970年代から80年代)
立川談志が発した「落語とは何か」という問いは、1970年代から80年代の落語界に大きな衝撃を与えた。当時は寄席の減少と観客離れが進み、落語協会は伝統を守るべきか、新しい表現を取り入れるべきかで揺れていた。テレビが娯楽の主流となり、バラエティが力を増す中、落語家は寄席に留まるか、テレビ進出を図るかを迫られていたのである。談志は協会の方針に従うことを拒み、脱退して立川流を創設した。彼にとって高座は一期一会であり、噺は時代と共に変わるべきだという信念があった。古典を型通りに再演するだけでは芸は死ぬと危惧し、観客の「今」を映すことこそ落語の本質だと考えた。高度経済成長で価値観が多様化する時代に、談志は伝統と革新の狭間で落語の未来を模索し続けた。協会を離れることは孤立を
意味したが、同時に「落語は芸人と観客がその瞬間に生きる営みである」という新たな哲学を示す行為でもあった。談志は反逆児でありながら実験者でもあり、その問いかけは現在も「古典か新作か」という議論として息づいている。
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