街に絹の声が満ちた季節 田中絹代 1909-1977 昭和前期から戦後黄金期
田中絹代は、昭和のスクリーンを半世紀にわたり照らし続けた看板女優である。丸みのある親しみやすい容貌と、最後まで抜けなかった山口弁が魅力として受け止められ、彼女の名を冠した作品タイトルが並ぶほどの国民的存在となった。fileciteturn3file1L25-L49 fileciteturn3file1L79-L149
1930年代、松竹の「うぶな娘」役で人気を確立し、映画と歌の時代が重なるなかでスター像を固めていく。何度も映画化された「伊豆の踊子」を最初に演じ、戦前を代表するメロドラマ「愛染かつら」では主題歌「旅の夜風」の空前のヒットと相まって熱狂を呼んだ。fileciteturn3file1L161-L177 fileciteturn3file1L179-L206
敗戦直後は価値観の急転とメディアの批判に直撃され、一時低迷する。しかし、やがて師と仰ぐ溝口健二の「西鶴一代女」で復調を果たし、その後は人物の老いと情の陰影に踏み込む役柄で新たな地平をひらいた。fileciteturn3file1L210-L258 fileciteturn3file1L260-L309
代表作を時代とともにたどると、まず「愛染かつら」は、恋愛譚と流行歌が一体化した戦前大衆文化の結晶であり、街に歌が流れ映画館へ人が集うという回路を可視化した。fileciteturn3file1L179-L206 「西鶴一代女」は、復帰作にして女性の宿命と自立を大きな弧で描く名作で、彼女の演技を"可憐"から"凄み"へ押し上げた。fileciteturn3file1L237-L258 「楢山節考」では山へ捨てられる老婆を演じ、身体の重さと倫理の葛藤を画面に刻印した。fileciteturn3file1L264-L283 さらに、監督第一作「恋文」は、女優の経験からすくい上げた微細な心理を画づけ、男性中心の現場に女性の視線を持ち込む出来事でもあった。fileciteturn3file1L311-L346 そして初期の「伊豆の踊子」は、純情と旅情を重ねた原風景として、のちの�
�熟へ向かう出発点を示す。fileciteturn3file1L161-L177
同時代の女優たちと比べると、田中の特質がいっそう際立つ。たとえば高峰三枝子は「元祖お嬢様女優」と呼ばれ、洗練された出自と立ち居振る舞いを武器に、東宝「鶴八鶴次郎」の成功で芸人役の第一人者としての地位を固めた。田中の庶民性と"生活感の匂い"は、高峰の気品と舞台性と好対照である。fileciteturn3file2L181-L192 fileciteturn3file2L31-L61 また、戦後の理知的な美貌で知られた山本富士子のヒロイン像と比べても、田中は娘役から老女までの幅と土臭い説得力で、昭和の生を丸ごと引き受ける包容を示した。fileciteturn4file1L135-L176
こうしたスターを支えたのは、写真家と映画誌が張り巡らせた可視化のネットワークでもある。映画世界社の早田スタジオは戦前から戦後にかけて多くのスターを撮り、その一瞬のきらめきを肖像に定着させた。写真、雑誌、映画が呼応する時代装置の上に、田中絹代という「国民的女優」の像は積み上がっていった。fileciteturn3file1L12-L13 fileciteturn3file3L71-L119
総じて、田中絹代は戦前のメロドラマから戦後黄金期の人間ドラマまで、昭和の感情の帯域を横断した。娘から老女、演じ手から作り手へ、役と時代の密度を移し替えながら歩んだ軌跡そのものが、昭和映画の心拍に重なるのである。fileciteturn3file1L260-L346
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