影なき戦火 ― ニトロゼウス作戦とサイバー兵器の胎動(2010年前後)
「ニトロゼウス作戦」は、アメリカとイスラエルが極秘裏に立案した前例なきサイバー攻撃計画であった。標的はイランの核開発施設にとどまらず、国全体の電力網、通信網、防空システムを同時に沈黙させる構想であり、もし実行されていれば、国家機能を丸ごと停止させる新時代の「電脳戦争」となっただろう。
この作戦が注目される背景には、2000年代に続いたアフガン戦争やイラク戦争によるアメリカの疲弊があった。大規模な地上戦は避けつつも、イランの核開発を抑止しなければならないという国際的圧力が高まっていた。イスラエルは空爆の限界を抱え、米国も世論の支持を欠いていた。こうした状況で犠牲を出さずに敵国の中枢を麻痺させるサイバー兵器は、冷戦後の軍事思想を大きく塗り替える存在となった。
同時期に現実に用いられた「スタックスネット」は、その象徴である。高度に洗練されたコンピュータウイルスがイラン・ナタンズの核施設に侵入し、遠心分離機を物理的に破壊した。サイバー攻撃が単なる情報窃取ではなく、工業機械や社会インフラを直接破壊し得ることを世界に知らしめた瞬間であった。スタックスネットはUSBを媒介に工場システムへ侵入し、制御ソフトウェアを書き換えるという精緻な手法を採用していた。この技術は後の「ニトロゼウス作戦」の規模拡大を裏付けるものとされる。
2010年前後の国際社会では、核抑止の時代からサイバー抑止の時代へと潮流が変わりつつあった。イランをめぐる外交交渉、のちのJCPOA(イラン核合意)の萌芽もこの緊張の中で生まれたが、裏側では「電脳の戦場」で無血の戦争がすでに始まっていたのである。
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