### 春画と性表現―1970年代の社会背景と議論
1970年代の日本は、戦後の高度経済成長を経て都市化と消費社会が進展し、人々の生活は豊かになった一方で、社会規範や道徳観は依然として戦前からの延長線にあった部分が強く残っていました。特に性表現をめぐる規制は厳しく、わいせつ文書や映像の摘発は警察や裁判所によって繰り返されており、春画やポルノグラフィはその都度「わいせつか否か」という判断の対象になっていました。
会話の中で取り上げられた春画は、江戸時代から庶民に親しまれてきた浮世絵の一種で、性行為を描くことによって生活の一部や人間の自然な営みを写し取ったものです。しかし、戦後日本の裁判所はそれを「露骨な性器描写」として問題視し、しばしば刑事事件の対象としました。これに対し、オーストラリアなどの海外からは「自然の営みをそのまま描いた表現を罰するのは理解できない」という声が寄せられ、日本の性規制が「未開的」と評される場面もありました。
1970年代は同時に、ウーマン・リブ運動や性解放論が社会に浸透していった時期でもあります。結婚制度や貞操観念の見直し、避妊や離婚の自由化といった議論が盛んに行われ、性を個人の権利や自由の領域として捉え直そうという機運が高まっていました。その流れの中で「春画を文化的表現として認めるべきではないか」「自然の一部として性を描くことを罪とするのは不合理だ」という意見が強調されたのです。
この議論は、性を「解放する/しない」といった二元論ではなく、「ただそこにあるもの」として受け止める姿勢に通じます。社会が近代化しつつも性を公然と語ることに慎重だった日本において、春画をめぐる議論は性表現と文化、道徳と自由のせめぎ合いを象徴する事例でした。
要するに、この時代の春画論争は単なるわいせつ規制の話にとどまらず、日本社会が性をどのように位置づけ、近代化の中で文化と自由をどう折り合いをつけるかという課題を映し出していたのです。
――ここまでを踏まえると、この「春画と性表現」の議論は、1970年代の社会的閉塞と新しい価値観の交錯を如実に示すものであったといえます。
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