### 石膏色の街に響く声―吉行淳之介と1970年代の文壇
吉行淳之介は戦後派を代表する作家のひとりであり、鋭い都会的感覚と人間存在への冷徹な視線をもって文壇に登場した。彼の代表作『驟雨』は、日常に潜む倦怠と性の影を描き出し、芥川賞を受賞して世に知られることとなった。また『暗室』では、抑圧と自由をめぐる人間の葛藤を描き、戦後文学における心理的探究の新しい地平を切り開いた。
六冊目の随筆集『石膏色と赤』は、昭和48年から51年にかけて発表された文章を収め、彼のもうひとつの顔を示す。そこには「片方の靴」「毒と薬」「没」「テレビ談義」など、雑誌『面白半分』で世に問われた随筆が含まれる。都市の片隅に転がる小事や矛盾を、淡々とした筆致で描きながら、ユーモアと皮肉を交えて浮かび上がらせるその技法は、同時代の読者に鮮烈な印象を残した。
1970年代の日本は高度経済成長を終え、安定期に入った時代であった。街にはモノが溢れ、人々の暮らしは便利になったが、精神の充足はむしろ遠ざかっていった。テレビが家庭に浸透し、消費文化が社会を覆う中、吉行は日常の裂け目を覗き込み、その空虚さを言葉に刻んだ。こうした視線は、同世代の三島由紀夫の劇的な自己表現や、安岡章太郎の人間臭さとは対照的であり、大江健三郎の政治的・観念的文学とも異なっていた。吉行はあくまで都市の冷たい空気を呼吸し、そこに漂う孤独とユーモアを独自の言語で描き出したのである。
『石膏色と赤』は、随筆という軽やかな器を用いながらも、1970年代の社会的閉塞と文化的矛盾を照射する記録であった。吉行淳之介の作品群は、小説と随筆の両面から、現代人の「生きづらさ」を見つめ直す鏡として今なお輝きを放ち続けている。
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