Sunday, August 31, 2025

### 苦言と巡業の記憶 ― 林家彦六の声(1970年代後半)

### 苦言と巡業の記憶 ― 林家彦六の声(1970年代後半)

1977年、落語界はテレビの普及と寄席の減少によって大きな変革期を迎えていた。八代目林家正蔵、後の林家彦六は「寄席が無いのは落語界の致命傷」と語り、弟子や若手に対しては「雲水のように貧乏に耐えよ」と強く戒めた。高度経済成長を経て人々の娯楽が多様化するなか、若手がテレビタレントを志望する風潮を厳しく退け、「二兎を追う者は一兎を得ず」と断言した姿には、古典落語を守ろうとする確固たる意志が表れていた。また人気絶頂にあった弟子の春風亭小朝に対しても「反省心がない」と警告し、芸の本道を見失うことへの危惧をあらわにした。その発言は単なる師弟関係を超え、落語界全体に対する苦言として響いた。

一方で、1979年、八十五歳になった彦六はなおも全国を巡業していた。労音の招きで訪れた函館や帯広の公演では、観客がレコードやテープを用いて落語を研究している姿に触れ、「務め人の人たちが真剣に落語に向き合っている」と深い感銘を受けた。東京の寄席では軽妙な笑いが求められつつあった時代に、地方では落語が真摯に受け止められ、文化として根付いていた。彦六にとって地方巡業は単なる営業ではなく、落語という芸能の命脈を支える観客と心を交わす重要な場であったのである。こうした証言は、テレビ時代の波に揺れながらも古典を守ろうとした最後の大看板の姿を、今に鮮やかに伝えている。

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