Sunday, August 31, 2025

反逆児の問いかけ ― 立川談志の孤高の道(1970年代から80年代)

反逆児の問いかけ ― 立川談志の孤高の道(1970年代から80年代)

立川談志が掲げた「落語とは何か」という問いは、1970年代から80年代の落語界に激しい衝撃を与えた。寄席の減少と観客離れが進む中、落語協会は伝統を守ろうとする保守派と、新しい表現を模索する革新派との間で揺れていた。テレビが娯楽の中心となり、バラエティが力を増す時代に、落語家は寄席にとどまるか、テレビ進出を目指すかの岐路に立たされていたのである。

談志はその中で落語協会を脱退し、自ら立川流を興した。彼にとって高座は一期一会であり、同じ噺でも常に違う空気を宿すべきだと考えた。古典を型通りに継承することを尊ぶ師匠方に対し、談志は「噺は時代を映すものでなければならない」と主張した。古典の再演に安住すれば芸は死ぬという危機感が、彼を突き動かしていた。

その姿勢は、高度経済成長を経て価値観が多様化した戦後日本の文化的状況と重なっていた。伝統を守るのか、変えるのか。この問いは歌舞伎や能にも通じるが、談志は落語において最も鋭く実践した存在であった。協会を離れることは孤立を意味したが、同時に「落語は芸人と観客がその瞬間に生きる営みだ」という新たな哲学を示す行為でもあった。

談志は反逆児であると同時に、時代の風を最も敏感に感じ取った実験者であった。彼の問いかけは今もなお「古典か新作か」という議論に息づき、落語界の未来を照らし続けている。

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