### 政治家の言葉と空疎さ―佐々木更三の演説をめぐって(1970年代初頭)
1970年代初頭の日本は、高度経済成長が頂点を迎えつつも、その陰で公害問題やベトナム戦争をめぐる反戦運動が社会に深刻な影を落としていた。政治の世界では、与党の自民党が長期政権を維持し続ける一方、野党第一党の日本社会党は、体制批判を軸にしながらも次第に求心力を失いつつあった。こうしたなかで、社会党の重鎮であった佐々木更三の演説が、当時の文化批評家や知識人たちの笑いと皮肉の的となった。
佐々木は、戦後政治を代表する理論派であり、左派陣営の論客として知られていたが、その演説に横文字を不自然に差し挟む癖があった。唐突にカタカナ語や英語のフレーズを用いる姿は、モダンさや知性を装うかのようであったが、むしろ聴衆には「空疎で説得力を欠くもの」として映った。寺山修司らが揶揄したのも、まさにその点である。彼らは、言葉というものは単独で意味を持つのではなく、それを裏付ける社会的な力や背景がなければ無力だと考えていた。
当時の日本社会は、消費文化の拡大とともに横文字が日常生活に浸透していた。広告や流行語にあふれる横文字は、先進性や知的さを演出する記号として機能したが、同時に「言葉の軽さ」を増幅する効果もあった。政治家の演説に横文字が混じることは、そうした風潮の延長にすぎず、聴衆にとっては現実感を伴わない観念的な響きとして受け止められた。寺山の批判は、その言葉の「軽薄さ」と、政治が持つはずの切実さとの乖離を突いたものであった。
佐々木更三の演説に対する揶揄は、単なる個人攻撃ではなく、戦後日本の政治文化そのものを照らし出すものだった。すなわち、政治家が使う言葉が形式化し、観念の遊戯のように響いてしまう一方で、現実に生きる人々の実感や社会の矛盾とは結びつかない、という状況である。その背景には、与党優位が固定化した議会構造、社会党の理論偏重、そして国民の政治的不信感が広がっていた事実がある。
このように、佐々木更三の横文字混じりの演説を「説得力がない」とする批判は、1970年代初頭の政治状況と文化的空気を象徴する出来事であった。言葉の裏付けを持たない政治的レトリックは、人々に空虚さを感じさせ、むしろ既存の政治への距離感を深めることとなったのである。
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